タングルウッドでの演奏, その1

毎週日曜日、朝の10時に研究生たちによる演奏会がある。 朝10時なんて変な時間だが、もっと時間が遅くなると暑くなってきついので、と言うことらしい。 7月上旬の今はまだ、涼しくて日中も快適なんだけど。 そのコンサートで今日、私はルーカス・フォスの「スケルツォ・リッチェルカーレ」と言う独奏曲と 今まで何回もブログで触れてきた、メンデルスゾーンと三重奏2番を演奏した。 金曜日のドレス・リハーサルを自分で録音して、残響の多いオザワ・ホールで、 しかも結構癖のあるニューヨーク・スタインウェイで、どう効果的に弾くか 結構頭をひねって、友達にもいろいろ意見してもらって以下のことを決めた。 #1 ペダルは最小限。 #2 ベースをしっかり響かせ、チェロをサポートする。 #3 左手がリズム・セクションのところはスタッカートでショスタコの様に弾く #4 セクションの変わり目のところでは、残響を聞いて、隙間を与え、メリハリをつける。 それから、今年の春一緒にフォーレの四重奏を演奏したコルバーンのヴィオラの教授、 ポール・コレティ氏にリハーサル中に言われたことを、もう一度反芻した。 「リヒャルト・ストラウスは晩年、 オーケストラ奏者の技術が自分の若い時に比べて向上してきて、 自分の超絶技巧のトーン・ポーエムの音を全て正確に弾こうと言う野心を持ち始めた時、怒ったんだよ。なぜだかわかる?ストラウスは、弾けない、という前提でああいう難しいパッセージを書いたんだ。弦楽奏者が弾こうとして、バラバラに崩れる、その音が欲しかったんだよ。君は指が良く動くし、それは良いことだけれども、音をすべてクリーンに弾いて得意になっているのは、無意味だよ。音の意図、音楽の中でのそれぞれの音の意図、と言うのは、あるいはそんなに明瞭に一つ一つの音を弾いてのけない方がより効果的に伝わることだってあるんだよ。」 そうして昨日の夜、今朝とヴァイオリンとチェロの子と色々話し合って、ゆっくりさらって 今日の演奏会を迎えた。 演奏を自分で描写するのは難しい。 言えるのは、今まで行ったどのリハーサルでよりも、目線を多くかわして、 楽章間でにっこり励まし合って、そして聴きあって弾けた、と言うことだけだ。 研究生仲間や、もう何十年も研究生たちを支援するボランティアを続けている人達、 教授群や、遠くから演奏を聴きにわざわざ来てくれた友達、いろいろな人に喜んでもらえた。 あとでキャンパスを歩いていたら、見知らぬ人から、握手を求められた。 一通りの、おめでとうと褒め言葉に続いて、こんなことを言われた。 「プログラムを見て気がついたんだけど、 君は日本人で、ヴァイオリンは中国人で、チェロは韓国人だったんだね。 プログラム後半でベートーヴェンの晩年の四重奏を演奏したグループも ドイツ人とイスラエル人とアメリカ人のミックスだったし、 世の中は進歩しているんだね。」 そうかもしれない。 戦後、64年。 確かに私の祖父母には、自分の孫がアメリカで、 中国人や韓国人と共にピアノを奏でることになるとは、 想像できない時代もあっただろう。 音楽と言う言葉を「音が楽しい」と読んで、「音学ではありません」、 とか言うのが一時期はやったが、 私は「楽しむ音」とも読めるんじゃないか、と思う。 人生を精一杯生きている音、社会を一所懸命反映している音、 そういうのが音楽ではないか。 そして、社会が病んでいる時は、音楽は抑圧されてしまう。 逆に健全な社会を奨励する、と言う意味で少々苦しい逆境にあっても 音楽活動を続ける、と言うのはありだろうか? 今世界中が不況で、演奏会を興行してもらうのが心苦しくなるときがある。 自主的に辞退するべきだろうか、と悩む時もある。 それでも、演奏活動を続けるのが、私の使命なのか? それとも、そういうときは冬眠して、 みんながもっと余裕がある時にまた音楽を提供できるようしこしこ練習して 力とレパートリーを蓄えた方がいいのだろうか?

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