パーティーで弾く、と言うこと

私がまだ初々しい学部生の時、先生がこんな話をしてくれた。 この先生はとても皮肉なユーモアのセンスに長けた人で、 いつも音楽家 vs。世界と言う、「いかに芸術や教養に理解の無い世界で戦っていくか」系の話が多かった。 彼自身の演奏会のあとの彼を讃えてのレセプションで、聴衆の一人「A」からアプローチされた。 A: 「素晴らしい演奏会でした。ところで、そこにアップライトがありますが、ちょっと弾いていただけませんか」 先生: 「ふ~ん、面白い提案ですね。ところで、あなたの職業はなんですか?」 A: 「私は医者ですが」 先生: 「素晴らしい職業ですね。ところで、そこに豚の丸焼きがありますが、解剖してみせてくれませんか」 パーティーに行くと、良く「ちょっと弾いてくれ」と言われる。 まだ若い時は、結構喜んで頼まれれば弾いていたこともあった。 でも、普通の家やパーティー会場、学校に在るピアノと言うのは必ずしも良いコンディションに無い。 弾いている最中にペダルがさびていて、「ポロッ」と取れてしまったことがある。 調律が半音以上狂っていて、私は絶対音階があるので混乱してしまって、散々だったこともある。 ピアノが大丈夫でも「弾いて」と頼んだのは向こうなのに、曲の最中に明らかに退屈されて悲しい時もある。 両親が帰国した後16歳で単身でアメリカに残った私はアメリカ人老夫婦に引き取られ、ホームステイをして高校生活の残り、1年半を過ごした。私はいわゆる「難しい年頃」だったし、英語がうまく喋れない恥ずかしさ、もどかしさ、寂しさで、非常にひねくれて、大変扱いにくい子供だったと思う。私のアメリカン・ペアレンツは大変善意に満ちた、古き良きアメリカ人だし、私が高校を卒業して約束の期間が終わった後でも私のピアノと私の部屋をそのままにしておいてくれ、今では本当に家族だ。でも本当に「家族」になるまでは、山あり谷ありの道のりだった。一番の険悪の原因はいつもこの「パーティーでの演奏」だった。社交好きの夫婦だから、ほぼ毎週お客様をする。お客さんは大抵私より何世代も年上である。言葉の壁もあるし、共通の話題も無い。"Children should be seen, not heard (子供は見て可愛いだけで、口を開かせるものではない)”と言う憎たらしいアメリカのことわざがある。私はいわゆる“child"と言うには年齢も自意識も過ぎていたが、言葉のハンディキャップにおいても、「好意で受け入れてもらっているアジアからの留学生」と言う立場上も、「子供」だった。私は食事中は黙りこくり、お皿の出し下げ、飲み物を継ぎ足したり、お手伝いに徹する。そして食事が終わり、アメリカン・マザーがデザートをを準備する間、 即されて、ピアノを弾く。始めはせめてものお返し、と言う気持ちもあったし、特に問題意識は無かった。でも明らかに迷惑そうに耐えているお客もいる。ポップスのリクエストを出したり、私の演奏について物知り顔で批評をするお客もいる。BGM扱いで喋り続けるお客もいる。逆に泣いて感激してくれたお客さんだっているし、良い演奏の練習になったと考えられなくもないのに、なぜこんなにこの「パーティーでの演奏」に嫌悪感を催すようになったのか。何度も怒鳴りあいのけんかをした。お客さんの前で派手にやりあったこともある。つたない英語で、何度も説明しようとした。私にとって音楽は宗教の様に大切なもので、でもあなたにとってはエンターテイメントでしかない。人の「宗教」を指をさして面白がったり、人に見せびらかして自慢したり、食後の娯楽にしたりするな! でも、そこまで言ってしまったら、演奏会で演奏するのだって結局だめになってしまう。ショーンベルグは理解の無い一般聴衆、そして言葉の尽くして彼の作曲をこき下ろす批評家に業を煮やして、招待された理解者しか聴衆の一員に入れない毎月一回の演奏会を始めた。ミルトン・バビットは「Who cares if you listen?(聴いてくれなくたって気にしない)」と言うエッセーを書いた。その趣旨は作曲家が聴衆に媚を売る様になったらおしまいだ。大学などの教育機関が作曲家の生活を保障し、作曲家の生活がチケットの売り上げと関係無くするべきだ、と言う非常に反感と注目を浴びた歴史的なエッセーだ。私はミルトン・バビットと同じなのか?クラシック音楽は美術館や、博物館や、大学だけに存在するもので良いのか? 昨日、ジョーン(私のアメリカン・マザー)の75歳の誕生日パーティーが盛大に開かれた。保護者は、私の言い分を理解したわけではないが、喧嘩を避けるためか、尊重を態度で示すためか、もう何年も私に演奏を強要をすることをしていない。でも先週、何年かぶりに「今度のパーティーで弾くのも、いやなの?」と泣き声で聴かれた。私は一週間迷い続けた。私の言い分は理屈にかなっているのか。私自身のピアノは地下にあり、パーティーで演奏する、居間に在るピアノは、ワインの染みが痛々しい、ほとんどインテリアの為に買われた家具の様なピアノである。 音色がどうの、歌心がどうの、と言う余地のない、不本意な演奏になる。でも、サロンで演奏して金持ちとこねを作らなければ、音楽家として生活を立てられなかったロマン派の作曲家はどんなピアノでも弾いたはずだ。そして、貴族の召使として作曲や演奏をした、古典派の作曲家は、どうなるのだ。音楽とは、何か。「芸術」と「娯楽」の違いは何か。 高校生だった私に選択の余地がほとんど与えられていなかった、と言うことが一番の問題だったのかもしれない。これは私の音楽を大切に思う気持ちよりも、若かった私なりの最後の自己主張だったのかも。それに、今は私のアメリカン・ペアレンツもどんどん高齢になって来て、私は大人になり、晴れて英語にも不自由しなくなり、私は前の様に弱い立場ではない。私が強く拒否すれば、向こうは受け入れるしかないし、私が弾く選択すれば、喜んで感謝してくれるだろう。それでも一週間迷ったのは、ここで弾いてしまったら高校生の自分を裏切るような、あんなに一生懸命主張したことを覆すような、はっきり言って悔しい気持ちがあった。 音楽とは、何なのか。今、音楽セラピーに関する本を読んでいて、音楽の生態学的、神経学的効果に目からうろこが落ちる思いで読んでいる。高校生の私がそんなに苦労して弾くことを拒否したのには「どうせ分かってくれない癖に」と言う高校生特有の傲慢な論理があったと思う。でも、「分かる」「分からない」に関係無く、音楽に時空を超えた普遍的な「人間性」をコミュニケートする力がある、と信じるから私はこの道を選んだのではないか。高齢になり、リュウマチで毎日痛み止めを飲んだり、階段の乗り降りに苦労している、私を本当の子供のように可愛がり、私のわがままにも付き合ってくれた老夫婦の、頭では無く、痛むひざ、疲れた心臓の為に、弾く選択を、しよう。 弾いた。 40人ほどのお客さんが、びっくりするほどシーンとして聴いてくれた。ジョーンは泣いて、喜んでくれた。 弾いて良かった。

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