自分の耳を信じる。

「君はどうして音楽学者が喜ぶような選曲、解釈ばかりをするんだ!自分の腹の底に在るものをもっと信じて、もっと感情に任せて弾いてみろ!」 「君はまず理性で曲に取り組もうとする。でも、理性ばかりに頼っていると視点に偏りが出てくることがあるよ。例えばベルグのソナタで、君はこの曲の対位法の大切さに注目して、普通の人が見逃す様な内声部の細部まで丁寧に弾き切ったね。でも余りに対位法に一生懸命になる余り和声の美しさを全く無視した演奏になってしまったのには多分気がつかなかっただろう。音楽には色々な側面がある。特に西洋音楽においては、知能的・理論的・観念的な部分も大きい。その多くは感情や勘だけでは処理しきれない、理性やはっきりとした概念を持って対処しなければいけないものだ。でも、音楽の源は知性では無いんだよ。もっと原始的な、人間としてのコミュニケーションの必要性みたいなものが音楽を生み出すんだ。演奏する上では、そこをいつも踏まえていよう。そのためには、聴き続ける、と言うことだ。自分の出している音、楽譜に書かれている音を、一生懸命聴く。」  「今のシューベルトのオープニングで君は全てを楽譜通りに弾いた。スタッカートは短く、雰囲気も正しく、音のヴォリュームにおいては再現部でもっと激しく弾くことを見込 んで、少し控えめのフォルテで弾いたね。全て正しい選択だ。でも、僕には君のシューベルトが信じられなかった。感情的な意向が感じられなかった。君は頭でシューベルトを弾いている。シューベルトを本当に聴けていないよ。目をつぶってシューベルトが君をどう言う気持ちにさせるか、君がこのシューベルトに何を求めているか、頭の中ではっきり聴いてから、もう一度弾いてごらん。そうしたら、僕は君のシューベルトを信じられるはずだ。」 上の三つの引用は私が3人の別々の先生にこの一ヶ月間に言われたことだ。 私はこの5月にコルバーンを卒業する。この冬休みを利用して、卒業後の身の振り方を決めるため、色々な先生の所に出向いて、レッスンをしてもらっている。全く違った性格のピアニストたちに同じことを言われ続けると、ちょっとショックだ。特にもっと若いころの私は「個性的」「型破り」と言われ続け、楽譜を無視して好き勝手 に弾いて破門になってしまったこともある位だったのだから。私が7年間の演奏活動を経て、もう一度学校に戻って系統立てた勉強をしようと思ったのは、そう言う勘や感情だけを頼りにした自分の演奏がひどく根拠無く、危うく思われて、恐ろしくなったからだが、バランスと言うのは難しい。少し、行き過ぎてしまっ たようだ。 考えるよりもまず、聴く。聴いたものを正直に受け止め、聴いたものに自分を投影させ、それを一つの曲としてつじつまを合わせる最終段階で初めて、歴史的背景とか、当時の作曲家の心理背景などを考慮する。自分の耳、気持ち、そして経験を信じる。

自分の耳を信じる。 Read More »