February 2010

回復!

どんどん元気になって、エネルギーが戻ってくる。 久しぶりにする練習はとても楽しいし、色々なことに対する意欲がどんどん湧いてきて、嬉しい。 昨日の朝はもう一度、小学校での演奏会の指揮をした。最終日と言うことで、いつもよりオケも意欲的だったし、私も曲にも慣れてきたので、オーケストラに沢山はっぱをかけて膨らませる所は思いっきり悠長に、前向きの所はどんどん走らせて、凄く楽しい演奏会になった。 夜は、LAフィルハーモニーのコンサートに行った。実は今シーズン、LAフィルの演奏会に行くのは、昨晩が初めて。これは私が多忙だった、と言うこともあるが、新任指揮者のデュダメルの人気が余りに圧倒的でティケットが簡単に手に入らない、と言うこともある。私が今までLAフィルにしょっちゅう行けたのは、本番直前に売れ残った券が学校に好意で支給されたり、あるいは学生と高齢者には10ドルで売られる「ラッシュ・ティケット・サービス」の利用が可能だったからだ。しかし、デュダメルの指揮する演奏会に限って、今までまだこのサービスが行われたことは無く、他の指揮者の演奏会も、例年よりティケットの売り上げが好ましく、音楽業界にとっては素晴らしい状況なのだが、私のような音楽学生にとっては音楽会が少し遠のいてしまった。でも昨日はデュトワ指揮の、ヒナステーラの「Vaiations Concertnate」、ラヴェルの左手の為の協奏曲、そしてストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ組曲」と言う素晴らしいプログラムだったにも関わらず、たまたま少しこの「ラッシュ・ティケット」が手に入り、私も久しぶりに聴けたのだ。 非常に良かった。色々な意味で触発された。 あ~、もっと指揮がしたい!もっと上手くなりたい!もっと、もっと音楽したい!! 演奏会の後、これも久しぶりに皆で集まって一緒に映画を観た。昨日見たのはイギリスから去年出た「An Education」と言う作品。後で色々な倫理観について皆でいつまでも論議の出来る、とても良い作品だった。

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今日聞いたこと

「病は気から」と言うことわざを私は結構信じている。自分は特に「気」と「身体」のつながりが強いのでは無いか、とも思っている。その証拠に、私は自分の生理をコントロールすることが出来る。コンサートが生理にかかりそうな時、鏡を見て(今月はちょっと早めに来てください)、とか(ちょっと遅めに。。。)とか念じて、大抵上手く行く。だから、今年何度も病気になってしまう自分をちょっと歯がゆく思っていた。 なんで? しかも大抵大きな本番の2週間くらい前に病気になるのだ。 ところが、今日のお昼ご飯の時に面白い情報を得た。 私の病気はただ単に「気」のせいだけではないのかも。 何年か前に菜食主義だったけれど、再び最近肉食を始めた友人にその訳を聞いたら何と「医者命令で」と言うのだ。菜食では取れない、在る種の鉄分が不足したためにリンパ腺がしょっちゅう腫れ、医者の命令で肉を食べ始めたら体調が戻ったとのこと。 私はなんとなく菜食=健康食、と思っていて、本番が近付くとどんどん菜食になる。でも、私のリンパ腺はしょっちゅう腫れるし、リンパ腺が腫れるのは本番が近付いて菜食度が増す時なのだ。 よし!肉を食べるぞ。夕飯にサーロイン・ステーキを食べた。肉を口に入れた瞬間に良くなった気がした。そう言う単純な自分もオカシイが、でもナマジッカ冗談でもないかも。現在、食後3時間目。随分元気になった気がするのだが。 でもそうしたら子供の時から菜食主義で元気に育っている私の友達はどうなるのだろう?

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病気の日

昨日の夜は気分がちょっと悪くて、8時に就寝。今朝は8時半までぐっすり寝てしまった。朝の7時10分に出発した小学校での演奏会のバスには完全に乗り遅れた。就寝前にやっとの思いで「明日は起きられないかも知れません、多分風邪」ともう一人の指揮者に電話しといて良かった。 今日在った嬉しいこと三つ。 1)テレビで「ファイト・クラブ」を観たこと。私の一番好きな映画の一つ。何度見ても凄い映画だと思う。 2)この頃はかき込むような食事が多くて、とても食事をしながら友達と話しをする、と言う余裕はなかったのだが、今日はゆっくりお昼からおやつまで色々な友達とご飯を食べたり、キャフェテリアの外で日向ぼっこしながら近況報告をしあったこと。久しぶりに大笑いを沢山した。 3)病気だったから凄く時間がかかって、しかし待ち時間の多い事を沢山片づけて、実に生産的な気持ちだった。ホテルの予約、飛行機の予約、インターネットでのリサーチ、CDのコピー、税金の処理、などなど。待ち時間が長くてやたらと時間がかかる単純作業をお茶を飲みながらゆったりした気持ちで一気に片付けてしまった。どうせ今日は病気で使い物にならない、と思っていたのだから、一つずつ片付いて行くたびに何だか儲けたような、得したような気持ちになってしまう。 明日のオケのバスは7時40分。多分在った熱は、多分下がった。のどの痛みも随分良くなった。 明日は行けるだろうか? 指揮は楽しいから、出来るだけ行きたい。

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今日在った嬉しいこと三つ

最近読んだ「幸せになれる心理学」の本によると、寝る前にその日在った嬉しいことを三つ書き出す習慣を付けると、思考回路がポジティブになるそうである。今日は一杯嬉しいことがあったから3つ考え出すのは簡単だ。 まず、朝コルバーンのオーケストラの指揮をした。 コルバーンでは毎学期一週間、オーケストラが地域の小学校に出向いて出張コンサートをする。これはコミュニティー還元の意味もあるが、生徒にオーケストラと独奏する機会を多く与えたり、特に難しいオーケストラのレパートリーをプレッシャーの少ない環境で演奏してみる、とか私たちにも色々特典がある。私は指揮歴は短く、コルバーンに入学した2006年からレッスンを受け始めただけだが、にもかかわらず2007年の春から毎年、この出張コンサートで実に色々な曲を指揮する機会を与えてもらった。モーツァルトの交響曲から始まって、ベートーヴェンの「運命」、バーンスタインの「ウェスト・サイド・ストーリー組曲」、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザッド」など、良くこんな大曲を任せてくれた、と感心するくらい色々な曲をやらせてもらった。今日やったのはロッシーニの「セビリアの理髪師」の序曲と、プロコフィエフの「古典交響曲」。去年の二月の出張コンサートから実に一年ぶりに本物のオーケストラの指揮したけれど、こういうものは一度学んだら結構覚えているものらしい。最初はちょっと膝がびくびくしていたが、最後は本当に気持ち良く腕を振り回していた。子供も大喜びしてくれたし。 午後は免許の更新に行った。実は去年の11月多忙の最中に急病で、免許が切れてしまってそのままにしてあったのだ。私は車を所有していないので、とりあえず不便は無いのだけれど、旅先でどうしても運転しなければいけない場合があり、やはりこれはどうしても片づけておきたかった。でも、筆記の試験があるし、期限切れた免許証の保持者は実地試験もあるかも知れない、と言うことで本当に怖かったのだ。でも、晴れて筆記はギリギリ合格、そして実地試験は免除!筆記試験の採点をしてくれた受付の叔母さんは非常に愉快な人で、採点しながら、間違えを見つけるたびに「あら~」、「おや~」とか、感嘆詞を実に気前よく出してくれ、最終的にギリギリで合格した時は「素晴らしい!よかったですね~」と大げさに褒めてくれて、それも嬉しかった。 最後に嬉しかったのは、小さいことなのだけれど、キャフェテリアのコックさんがいつも私をひいきにしてくれて、量を多めにしてくれたりする。今日のパスタの盛り付けの時にパセリとバジルをド派手にパッパっと振ってくれて、新鮮なバジルが凄く香り高かった。 今日は良い日でした。

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オーケストラ奏者の悩み

今日は面白いアルバイトをした。 サンフランシスコのオーケストラの団員をしているヴァイオリニストとブラームスのソナタを弾いたのだ。 しかもコルバーンの予備校の発表会で。 私が今在校しているのはコルバーンと言うロサンジェルスに在る音楽学校だ。この学校には二つの独立した学部がある。一つは私の属しているプロ養成コース。学費は勿論、生活費、そして時にはプロ活動の為に必要な資金まで支援してくれる、夢のようなプログラムだ。このプログラムは定員が120人以下と決まっている。もう一つの学部はオーディション無しで希望者を誰でも受け付けるコミュニティーの音楽学校。大体が音大受験準備中の高校生だが、中には幼児用英才教育のクラスや、高齢者の為のクラスなどもある。千人以上の生徒が居る。時間があったり、特にお金が要り用な時は、私たちプロ養成コースのピアニスト達は、時々このプログラムの雇われ伴奏をする。今回の発表会はこの予備校の仕事だった。 先週末、発表会での伴奏依頼の電話が来た時、声が大人だったので子供の為にお父さんが電話をかけて来たのかと思った。今日リハーサルに来て見てびっくり。そして一緒に弾き始めてさらにびっくり。彼はサンフランシスコのオーケストラでフルタイムで働いている、プロのヴァイオリニストだったのだ。彼曰く、オーケストラで毎日弾いていると、演奏技術がどんどん落ちるのだそうだ。オーケストラの団員としての奏法と言うのは割と変化に乏しく、しかも音を周りと溶け込ませることを常に要求されるため、どんどん音が小さくなり、演奏が小さくなるような危機感を覚えた、とのこと。火曜日から日曜日までリハーサルや演奏会で拘束されるフルタイムのオケ団員の唯一の休日は月曜日だ。その月曜日を利用して、朝一番の飛行機でサンフランシスコからロサンジェルスまで飛んできて、レッスンを受け、練習室で練習をし、そして夜行われるおさらい会や、発表会で高校生に交じって演奏をして、ロス発最終の飛行機でサンフランシスコまで戻って火曜日の朝のリハーサルに間に合わせる。 本当に、心から脱帽して、触発された。 プロ養成コースの生徒の中には、一回フルタイムのオケの仕事をゲットしてしばらく働いていながら、その仕事を蹴って、コルバーンに勉強し直しに来ている人が何人かいる。オケの仕事と言うのは本当に倍率が高い。何百人、時には何千人に一人と言う確率のオーディションに合格し、ゲットした仕事を棄てて学校に戻ってくるのは、皆自分の可能性の限界に試したい、と言う音楽家としての欲を優先させるからだ。そう言う友達を勇気がある、と思って尊敬していたが、仕事を続けながら自己向上を試みる人には初めて在った。 最近、音楽史の教科書を読み返していたらば、その一番最初にプラトンとアリストテレスの音楽に関する哲学に関する言及があった。その中でアリストテレスがこんなことを言っているのに感銘を受けた。「音楽と言うのは感情を表現したり、感情に影響を及ぼしたり出来る。だから仁徳や、道徳を教育するために、若者には音楽を教育するべきである。しかし、超絶技巧を見せびらかしたり、競争の為に技術向上を目指す音楽と言うのは、他人を喜ばすための、意地汚い、卑しいことである。音楽の訓練は、常に自己向上の為だけに使われるべきである。今日在ったヴァイオリニストも、オケの仕事を蹴ってコルバーンに修行し直しに来た私の友達も、皆音楽を通じての自己向上に人生をかけているんだなあ、と思った。

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