先入観 vs. 予備知識
この前のブログで、ポップスのコンサートに行くファンと言うのはコンサートに行く前にすでに覚えるくらい演奏される曲を何回も聞いているらしい、と言う内容のことを書きました。クラシックの演奏会でも「耳馴染みのあるものを」と希望されることは良く在りますし、アンコールでドビュッシーの「月の光」や「革命のエチュード」など、有名な曲を弾くと、聴衆の皆さんがワッと盛り上がるのが分かる時があります。 でも、ここがクラシカル演奏家のジレンマなのですが、西洋クラシック歴史は実に300年以上あり、レパートリーは星の数より多く在ります。すでに知っている曲よりも、これから耳馴染みになってほしい曲を紹介したい!と言う意欲も、自分自身がまだ演奏されることの少ない曲に挑戦してみたい、と言う欲も在ります。それに300年の歴史の膨大なレパートリーの中で有名なのは数えるほどの曲のみ。普通に選曲すれば、有名な曲に当たる確率の方が低い、と言う事実も在ります。 そのギャップを埋めるべく私を始め多くの演奏家が最近試みているのが、演奏の合間に曲や、曲の背景を紹介するトークを入れる、と言うことです。プログラム・ノートの解説は理屈っぽくなる傾向があるのに比べ、トークでしたら聴衆の皆さんの反応によって臨機応変に内容を変えていくことが出来ますし、質問を受け付けたり、時にはお客様にコメントを付け加えていただいたりすることも出来ます。でもこれにも問題は在って、演奏者の解釈が聴衆に曲に対する先入観を与えてしまう危険性がある、と言うことです。私は出来るだけ事実に徹したトークをしようと心がけていますが、それでもアドリブのトークですので、どうしても私の好み、嗜好がにじみ出てしまいます。 先週、ロサンジェルス・タイムスと言う大手新聞の音楽評論家、マーク・スウェードと言う人の講義を聞く機会に恵まれましたが、彼によると、この頃増えてきた、演奏会で演奏者による曲の解説と言う流れに反発して、最近曲目を印刷したプログラムを配布することもせずに、何の情報も聴衆に与えないで曲を演奏する、と言うコンサートの試みが行われているそうです。先入観を全て取っ払って、音楽を音楽としてのみ、聞いていただきましょう、と言うことだそうです。これはとても面白い試みだと思いますが、でも聴衆がかなり積極的に曲に興味を持って想像力を働かせてくれないと、退屈してしまうかも知れません。演奏者の腕や気合いにもよると思いますが。 私はこういうことを試みてみたい。 2時間の独奏会の前半と後半を全く同じ曲を弾きます。 でも前半は、プログラム無し、トーク無し、先入観無し。 そして休憩中に曲の解説のトーク、さらに質問会をして、プログラムを配り、後半が前半と、同じ曲ながら得た知識によってどういう風に違って聞こえるか、体験してもらうのです。