2021年も大変お世話になりました。2022年もよろしくお願いいたします。
沢山の方々にご支援頂き、コロナ禍でありながらも思いがけなく充実した1年を振り返って感謝の念に堪えません。このブログでは2021年の活動のハイライトをご紹介しながら、お礼と来年への抱負に代えさせて頂きたいと思います。
演奏ハイライト:トーマス・マン・ハウスでのトッホの作品68の録音
ノーベル賞小説家、トーマス・マンがナチスを逃れてロサンジェルスに住居を構え、そこで悪魔に魂を売る小説家を描いた「ドクトル・ファウストス」を書き上げた。その際に助言を求めた、同じくナチスを逃れハリウッド映画界に職を求めて来ていた多くの作曲家の一人、エルンスト・トッホのピアノ曲集「プロフィール」作品68を、トーマス・マン・ハウスで録音したのが5月の終わりでした。トッホに関するリサーチを進める過程で出会ったトッホのお孫さんは数々の受賞を誇る多作なノンフィクション作家のローレンス・ウェシュラ―氏。不思議な出会いとご縁で、今では定期的に電話で会話をする友情に恵まれ、来年の5月12日にはコルバーンのThayerホールでお孫さんの解説付きの演奏会をする事になっています。トッホが所有していたピアノでお孫さんに作品68-3を演奏して差し上げた1分の画像がこちらです。
学ぶ者としてのハイライト:自分 vs. 世界 < 自分 IN 世界
2020年5月20日にジョージ・フロイド氏が警察によって殺害され、Black Lives Matter運動に火が付きました。トランプの中国に対する敵対視、特にコロナ禍での「Kung Flu」や「China Virus」発言は在米アジア人に対するヘイト・クライムの増長にも拍車をかけました。そのトランプ政権最終日の2021年1月19日、ポンペオ国務長官が中国がウイグル族に対して行って来ていた弾圧を「ジェノサイド(Genocide)」と認定しました。
音楽の治癒効果という観点から考察すると、人間は共感力や協力への本能が如実な実に社会的な動物だという特性ばかりが際立って見えてきます。が、これらの社会現象は人間の残虐性を露わにしていました。人間の持つこの二極性は何なのか。コロナ禍で旅行やいつも通りの演奏活動が不可能だった期間中、私は沢山の本を読みました。特に得る物が多かった何冊かをここでご紹介させてください。
- サマンサ・パワーズ著:A Problem from Hell: America and the Age of Genocide (2002)
- 平野啓一郎著:私とは何かー「個人」から「分人」へ(2012)
- 大栗博司著:探求する精神ー職業としての基礎科学(2021)
- ローレンス・ウェシュラ―著:「ボスニアのフェルメール」(2005)
- 福岡伸一著:「ナチュラリストー生命を愛でる人」(2018)
- ジョージ・マーシャル著。「なぜ脳は気候変動を見過ごすのか。」(2015)
- ディディ・パーズハウス著:エコロジー・オブ・ケア:医療・農業・金融・そして人間と微生物の共同体の静かなパワー(2016)
- ヴィクトール・フランクル著:「夜と霧(原題:Men’s Search for Meaning)」(1956)
考察から行動へ:音楽の治癒効果を使って、隣人愛と環境運動
コロナ禍で、特に前半は外出や旅行を多いに制限された2021年でしたが、お蔭様で沢山のコミュニティーに刺激と成長の機会を頂きました。US-Japanリーダーシップ・プログラムは定期的な勉強会を主催してくれた他、このグループで培った友情が定期的なメールやメッセージや会話や旅先でのお食事会などで嬉しく花開き、元気づけてくれました。物書き仲間のワークショップも、時として忘れがちな本の執筆に発破をかけてくれました。思いがけず招待された欧州ヤングリーダーズのパネリストとして「芸術が強める社会の耐性」という題目で、計らずして東洋人代表としてお話しもしました。ルネッサンス・ウィークエンドで超有名人などに混じって恐れ多くも発言もしました。振り返って、本当に色々なコミュニティーに刺激と友情交歓と成長の機会を頂きました。その集大成となったのが「ピアノバン大冒険」でした。
思いがけず演奏旅行の多かった2021年後半と、いつもどっしり私の錨で居てくれた野の君
8月下旬にマサチューセッツ州のレノックスでの音楽祭に講師として呼ばれてからは、一年半のパンデミック生活がウソの様に旅行が続きました。旅と旅の間の在宅が10日とか、2週間とか、そういうスケジュールが数か月続きました。旅行中は見聞きするものも新しい出会いも全てが刺激満載で、興奮状態。夜はアルコール、朝はコーヒー、そして会合にはいつも美食と、摂取するカロリーや刺激物の度合いも急増し、睡眠時間は反比例します。その反動で帰宅すると私は時にゾンビ状態になったりしました。旅行中の忙しさと社交の充実と打って変わって、家では予定も無く自分を持て余したりして、時々私は冬眠中の熊の様になって「生きる意味」などを自問自答してしまったりするのです。そんな私の錨となってくれたのが野の君でした。「わたしゃあ、なんの為に生きてるんだろうね~。」と起き掛けに茫然自失と出てきた私の発言に対して、野の君は手放しで大笑いしてくれたりするのです。つられて私も笑ってしまい、それで元気になったりしました。野の君、ありがとう。
お疲れ様です。
笑門来福、この一年のはじまりに相応しいですね。
ことしは、さらにビックチャンスが訪れる予感がします。
タンポポの綿毛は、いたるところへ飛翔しましたから。
小川久男