博士論文のための文献のまとめ(3冊)

今日は3つの、お互いに関連性にある文献のまとめとそれぞれの感想を少し。 ちょっとがちがちのブログ・エントリーになりますが、 特に私の英語の文献は日本語に訳されている物がほとんどなく、 日本でリサーチをされている方々のお役に立つことがあるかもしれないと思い、 ここに記します。 最初はMyles W. Jackson著の記事: Physics, Machines and Music Pedagogy in Nineteenth-Century Germany (19世紀ドイツに於ける物理、機械と音楽教育)。 工業革命と共に色々な分野での機械化が進んでいた19世紀のヨーロッパに於いて 人間の仕事のできるだけ多くを機械化しようと言う動きは 音楽演奏(1)や音楽教育(2)まで及んだ。 1.楽器演奏を取って代われる機械(オルゴールなど)、 2.そして技術向上を高めるための練習を助けるための機械(メトロノーム、指矯正など)、 また、大量生産と言う概念が広まる。 楽譜が市場に大量に出回り、楽器の大量生産が加速する中、 奏者をも大量生産できるもの、と言う考え方が音楽教育を変えていく。 音楽を道徳向上を通じて社会的意義のあるものとして 練習を助ける機械を学校教育に導入してアマチュア音楽家の大量生産が行われた。 音楽を社会的価値のあるものとしてこの動きに賛成したのが プロシアの王、Friedrich Wilhelm III. あらゆる技術は分析の後、再現が可能と言う理論に基づいた動きだ。 一方、大規模な大衆娯楽を最初に成功させた パガニーニやリストに代表されるヴィルチュオーゾは 奏者に自分を投影することを拒むほどの超人間としてもてはやされた。 この場合、スター的演奏家の条件は「再現が不可能」。 この二つの矛盾した考え方が社会現象としての音楽と19世紀の音楽の発展に どのように反映されるか、と言う記事。 この記事は例が多かったので引用はできるが、 主張は少ないし、すごく深い視点がある訳では無く、 書き方と論理の整理もちょっといい加減な印象を受けた。 次は岡田温治著の本: 天使とは何か~キューピッド、キリスト、悪魔。 この本で私の論文と関係ある個所は第三章「歌え、奏でよ」 「天使と音楽と人間の間で取り結ばれて来た長くて固い絆の素描」 (「はじめに」より)。 ここで指摘される古代来の音楽観に於ける矛盾は 「数学的で幾何学的な合理性の極と(例:プラトン、ピュタゴラス)、 感覚的で感情的な非合理性の極(例:アリストクセヌス)」(P.89)。 聖アウグスティヌスは『告白』X:33で教会音楽について 「私は快楽の危険と健全の経験との間を動揺している」と告白している。(P.89) この本の95パーセントは私のリサーチには関係ないが、 上に引用した矛盾は使える。 最後にDavid Gramit著の本: […]

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