October 2009

褒められた!

レッスンでショパンのポロネーズ(嬰へ短調、作品44)を弾いた。 先生に「これは本当に男性的な曲で、女性の演奏で満足したのは今までで君だけだ」と言われた。 「!」と、引っかかる褒め方だったけど、やっぱり嬉しかった。 確かにこの曲は大きな和音や、オクターブが連続するので、小手先では弾けない。 この曲をたくさん練習すると、上腕と背筋が疲れる。 でも、筋肉で弾くか、と言えばそういうことでもなく、脱力して、重みと勢いで弾いていると思う。 本当にこういう曲は女性には向かないのか。 本当に女性と男性でそんなに弾き方や、合う曲は変わるものなのか。 お寿司を食べながら、同じ門下の男性ピアニストと結構感情的にこの事について議論したことがある。 彼曰く、女性の音は男性より小さく、生演奏なら奏者を見なくても男か女か分かる。 私は、それは個体差、個性があり、確かに一般的な傾向と言うのはあるかも知れないが、 だからと言ってひとくくりに「女性は」「男性は」と言える問題では無い、と反論した。 舞台で弾く自分の音を自分で客席から聞くのは不可能だが、私はよく「音が大きい」とコメントされる。 そのことを頼りに、同じ門下で繊細さを良く誉められる男子生徒より私の方が音が大きい! とはったりをかました所、議論の相手はぐっと詰まって「彼は菜食主義だから」とほざいた! ここで私は「議論に勝った!」と宣言し、次のお寿司をおごってもらう約束を取ったのだが、 今思い出したが、お寿司はまだおごってもらっていない。 でも私だって「この曲は体が大きくて、体重の重い人の方が得だな」と思う曲はある。 例えばブラームスのピアノ協奏曲2番。 タングルウッドの最後の演奏会でのギャリック・オールソンの演奏は今でも忘れられないが、 彼は本当に巨体の持ち主で、ピアノの鍵盤の下に膝が入りにくそうだし、 固太り、と言うかがっしりした体形なので、座っていても実に安定している。 ふぃ~ん、やけ食いでもして、体重増やそうかなあ。。。 「女性だから」とか「女性なのに」なんて、言わせないぞ!

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笑いの必要

ずっと眠れない。 眠れないから悩んでしまうのか、悩んでいるから眠れないのか、もう分からない。 悩んでもショウガナイことばかりだし、元気な時は鼻先で笑っちゃうくらい小さな悩みばかりなのだ。 でも、眠れない夜には本当に悩まされる。 寝ようともがくと邪念に苦しむから、ガバっと起きてとりあえずしなければいけないことを片付ける。 野暮用が多いのだが、それでも少しずつ片づけていくと気がまぎれる。 そうしていると朝になってしまう。 疲れてはいるが、眠気は無く、そのまま練習に向かったりする。 そうするともう晩には夢遊病者状態。 感覚がいつもの半分くらい。 カーテンを通して世界を経験しているよう。 そんなとき、学校から招待券をもらって現代曲ピアノ・リサイタルを聴きに行った。 ピアノの生徒の皆と一緒だ。 今夜のメキシコ人女流ピアニストが、主に南米の作曲家たち12人に Pedro Paramoと言うメキシコ詩人の作品への反応としてピアノ曲を作曲するよう依嘱した。 その結果を12曲並べて2時間のピアノ・リサイタルにしたプログラムだ。 曲の合間に、それぞれの作曲家が取り上げた文章がスペイン語、その次英語で ピアニスト自身によって読み上げられる。 始めは面白いリサイタルになるか、と思った。 紫色の照明で、舞台は不思議な雰囲気に包まれ、 ピアニストの声はハスキーで詩の朗読はゆっくりととても心地良かった。 ピアノ演奏も中々良い雰囲気で始まり、曲も美しい。 一曲目、二曲目と進むうちに(?)となってきた。どの曲も同じに聞こえる。 もしかしてこの人は、どんなテンポ指示も強弱記号も無視して、 弾けるように、もしくは弾きやすいように、弾いているんじゃないか? よってどの曲もスロー気味で、思わせぶりな、残響をいつまでも聞くような、弱音続きになる。 そして極みつけに、二つの音をただやたらと連打し続ける曲が在って(本当に3分くらいそれだけ) 私たちは、静かに笑い始めてしまった。 休憩中、目と目で通じあって会場を退出して、ピアニスト仲間同士、外に出たとたん爆笑大会になった。 ちょっと意地悪だったかもと反省の念もあるけれど、それよりも本当に正直に、素直に、心の底から 「笑わせてくれて、ありがとう」 普段の私は普通の人がびっくりするくらい、大声で頻繁に笑う。 でもこの数日間、そう言えば全然笑っていなかった。 笑って、みんなで一緒にお腹が痛くなるくらい笑って、本当にすっきりした。 糞まじめを笑い飛ばす勇気と元気と強さを持ちたい。 豪快な楽観性と、荒削りな態度を持ちたい。 今日は笑って、それに一歩近づいた。 今夜はちゃんと眠れるように。

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