October 2009

ロスでの買い物

今週末は、結局何も買わなかったが、色々な面白いお店に行った。 まず、LAオペラが過去の衣装や、小道具などをバザーで売り出す、と言うので見に行った。 10時に始まって3時に終わる、と言うので私たちは2時ごろ行ったのだが、 そのころには凄く高いものか、凄くぼろいものしか残っていなかった。 でも10時ちょっと過ぎに行った友達は列が長すぎて入れなかったそうだ。 一番面白かったのは先シーズンLAオペラが初演を行った、 LAオペラ委託作品(Howard Shore作曲)「ハエ」の衣装。 ジョルジュ・ランジュランの小説「蝿」を映画化した、「蝿男の恐怖」をご存じだろうか? あれの、オペラ版である。 このオペラは私は見なかったが、見に行った友達は「あれはコメディー?」と首をかしげていた。 自分に生体実験を施した科学者が、段々蝿と人間の合いの子に変身していき、 最後に本当にハエになってしまう、というお話(だったかな?)。 その途中の「蝿人間」の着ぐるみがサイレント・オークションにかかっていた。 皆自分が払いたい額を表に書きつけていって、一番高く書いた人が競り落とす、という奴。 五千ドルからの競りだったが、かなり大きな着ぐるみで、あんなの買って、どうするんだろう。 他に、どっしり重そうな、中世のようなドレスとか、メキシコの帽子とか、色々あった。 それからびっくりしたのは靴のサイズ。 女性用の靴がズラリと並んでいるところがあって、行ってみたら一番小さいのが26cmで、 28cmとかが一杯あった。 もっと普通のサイズはもう売れてしまっていたのかもしれないけれど、それにしても大きい。 オペラ歌手が太っている、と云うのは一昔前の話で、 このごろの若いオペラ歌手は見た目も重視されるし、きれいな人が多いけれど、 それでもやっぱり背が高いほうが舞台映えするから、大きい人が多いのかも知れない。 そういえば、ドレスも大きいサイズが多かった。 その後、テレビの制作用の小道具の廃棄品を売るお店に行った。 墓石(の模型)とか、死体のマネキン(手とか、足とかがちぎれていて、血が出ている)とか、 映画「天使と悪魔」で使われた教会のセットとか、店頭に飾ってあるものは面白かったけど、 お店の中は結構普通の古道具のようなものが多かった。 ちょっとくたびれたソファー(いっぱいあった)とか、絵とか、家具とか、古着とか。 キャンセルされたシリーズ・ドラマのロゴが入った帽子やTシャツや椅子なんかが 山積みになって売り出されているところもあって、ちょっと物悲しかった。 でも、タンスだと思いきや、引き出しが開かない、要するに箱とかもあって、 一々結構面白かった。 やっぱりハリウッドが近所にあると、色々面白いなあ、と思った。

ロスでの買い物 Read More »

怒られた!

昨日、今日と続けてレッスンがあった。火曜日に、またある。 コルバーンを卒業する、という事で、先生が一生懸命伝授しようとしてくれるのが、分かる。 嬉しい。 昨日のベルグのソナタはべた褒めされた。 「完璧だ。直すところが無い」 ~こんな事を言われたのは全く初めてである。 ところがその後、「結局日本のプログラムの演目は最終的に何になったの?」と聞かれ、 「新ウィーン学派が音楽史の必然的な流れとして出てきた、と言うテーマで、 モーツァルト、ベートーヴェンの「告別」、ベルグのソナタ、 そして休憩をはさんでシューベルトのハ短調のソナタを弾こうかと。。。」 と答えたところ、顔を真っ赤にして怒り始めたのだ。 「どうして君のプログラムはいつも音楽学者の講義みたいなプログラムなんだ! 君はいつも知的に音楽を修めようとする。これが君について僕が一番心配していることだ。 どうして、音楽を素直に音楽として感じることに満足しないのか? 知性は感情に相反するものだ。僕は君が勉強ばかりしているのが本当に心配だ。」 先生はちょっと太り気味で、多分血圧が高い。 もう高齢だし、本当に心配になる位真っ赤になって本当に大きな声を出して怒っている。 「わかりました。考えさせてください。」 と言って、次にショパンのポロネーズを弾いた。 でも、やっぱり私も少しびっくりして、普段しないような間違えを沢山してしまった。 それで、私の隠そうとしている動揺が、多分ばれてしまったのだと思う。 弾き終わったところで先生が 「ごめんね。気を悪くしたよね。 でも、僕はここまで進歩してくれた君がまたこの後元に戻っちゃうんじゃないかと本当に心配なの。」 と、言ってくれたのだ。 泣きたいほど、嬉しかった。 私は先生の論理には、少し疑問を持つ。 本当に知性は感情に相反するものなのか? 確かに、感情に基づかない論理は、誠実さの正反対の結果を生み出すこともあると思う。 でも私は、自分の感性で感じ取るものを感情以上の確固たるものとして、 聴衆と、自信を持って分かち合いたい。 先生の考え方、演奏家は受け継がれた伝統や伝授されて培った音楽的直観、正直さを信頼して弾く、 と言う考え方は、少し古いと思う。 音楽を伝統芸術として研究する、と言う動きは最近のもので、私の世代には普通の考え方だ。 でも、先生が心配するように、 私には説明のつかない感情というのを論理で丸く収める、という傾向も確かにある。 先生のメッセージは胸にしっかりと留めて、でもやっぱり私は私の道を行く。 それしか、できない。

怒られた! Read More »

まきちゃ、武士道を行く。

先週、夜中に目が覚めてそのままずっと寝付けない日が続いた。 眠れない時悩み始めるのは、最近読んだ本の内容についてだ。 "Mozart in the Jungle – Sex, Drugs, and Classical Music" と言う本で 作者はBlair Tindallと言う女流オーボエ奏者、NYのフリーランサーを何十年もやっている。 私も2006年にロスに来るまではNYでずっとフリーランスをしていたし、 「知り合いが沢山出てくるよ。皆、怒っている」と昔のフリーランスの仲間から教えられ、 暴露本を読むような、軽い気持ちで読み始めた。 しかし、そこに詳しく引き出される統計が、私にはショックだったのだ。 例えば、音楽大学の年間学費(マンハッタン・スクールは2004年は$24,500、約240万円)は アイヴィ―リーグの年間学費(ハーバードは同年$27,448、約270万円)とほぼ変わらないが、 音楽大学では音楽以外の一般教養の授業はほとんど全く行わられず、 したがって音楽大学を卒業しても、音楽以外の職に就くことは難しい。 なのに毎年アメリカでは約5千6百人の音楽学生(修士・博士を含む)が演奏課程を卒業し、職を求める。 けれども定収入を得られる数少ない選択肢の一つである、オーケストラの募集は毎年約250。 そのオケだって、多くは負債をため込み、倒産寸前のところが多い。 教職はこの本には統計が出ていなかったが、大学生レヴェルを教えようと思ったら、 一人の募集に何百人もの応募者が集まる、と言う話はよく聞く。 そしてこういう定職の多くは年間収入が$3万ドル(約300万円)か、それ以下。 フリーランスで食べて行くことを余議なくされる音楽家はたくさんいるので、競争率が激しい。 そして、その需要もバブル崩壊後、経済の影響と、音楽におけるテクノロジーの進出、 さらにより安価でほぼ同じレヴェルの録音を提供する東欧オケの進出で、縮小。 しかもアメリカで定職が無い、と言うことは、健康保険が無い、と言うことである。 一回の病気、一回の事故で、人生は風前の灯になってしまうのだ。 このような統計を今まで全く知らなかった訳では、勿論無い。 身近に実際ホームレスになってしまった先輩もいる。 しかしコルバーン在籍中の今まで4年間、 生活費から学費まで全部支給される温室的な環境でぬくぬくしてきた私には全くの 「寝耳に冷や水」だったわけだ。 そして、コルバーンは今年で卒業。 これから、私はどうなるんだろう。。。 ここで私が思い出すのは、剣が実際に戦闘に使われなくなってから書かれた、「兵法家伝書」。 それまでにも、剣を使う者はいただろうが、「剣の為の剣の修行」と言うのは、戦国時代半ばに始まり、 さらに1543年、火縄銃が日本に入り、戦闘に使われるようになると 武士より歩兵の方が重視されるようになった。 その時、自己存在の意義を精神面に求めるため、 武士道のもととなった兵法家伝書や五輪書が戦国時代後に書かれ、普及したようだ。 その心はまさに現代世の中におけるピアニストの私にまっすぐ通じる。 録音された音楽が蔓延し、シンセサイザーたった一台がオーケストラに取って代わる世の中で、 職を失って路頭に迷い、あるいは果てしない旅に出る、何万人の音楽家たちは、 まさしく現代世の中における浪人! でも浪人ひとりひとりの人生は時に物悲しく、時に惨めだったとしても その集大成は日本人の精神力の元となり、さらに現在では世界中の憧れである。 剣道、武士道、茶道、華道、全ては悟りへの「道」である。 と、すればピアノだって「道」でいいのだ。

まきちゃ、武士道を行く。 Read More »

お茶を飲む

先週5日ほど眠れない日が続いて、コーヒー断ちをすることにした。 そしたら嘘のように眠れるようになった。 コーヒーの代りに、朝いっぱいお茶を飲む。 今朝は「マンゴ・ブラック・ティ―」。 一箱2~3ドルのものなのだが、箱を開けたとたんにっこりするくらいいい香り。 今朝はおかげでずっと幸せな気分で練習した。 でもなんと言っても、私の一番のお気に入りはYogiと言うブランドの 「Super Antioxidant Green Tea (訳すと、超抗酸化緑茶?)」。 緑茶に、ジャズミンの花、レモングラス、タンポポの根やアルファルファの葉っぱ、リコリッシュの根など、 色々な物が混ぜて在って、本当に匂いを嗅いだだけで、体も心もきれいになった気持ちがする。 在る日、魔法瓶にこのお茶を一杯作って、幸せな気持ちで練習に向かう途中、 エレベーターに乗り込んだら、混んでいた。 学期も半ばに近付いてきて、みんな色々ストレスを抱えている。 コンクールに向けて準備している子も、お金の心配がある子も、譜読みがおっつかない子もいろいろいる。 そういう皆で、エレベーターの中が少し緊張していた。 私は自分のお茶があんまり嬉しくって、その効用を信じ切っていたので (よし、ここはお茶パワーの出番!)と、思い 「お茶が美味しくって嬉しいの。匂い嗅いで」 と言って、蓋を取ってエレベーターの皆に回した。 そしたら皆が匂いを嗅いだ順に「わ~、本当だ!」と、にこにこし出してくれたのだ。 お茶のパワーはすごい!凄く嬉しくなったひと時でした。

お茶を飲む Read More »

不思議な世の中

行きずりの空手の先生と会話をする機会が在った。 私が音楽家だと知ると、「自分も空手をやっており、武芸(英語で"martial ART")を一種の芸術と心得ている」 と、自己紹介してきた。全くアングロ・サクソン系のアメリカ人男性である。 お互いの芸事について、いろいろ会話を進めていくうちに、 一番怖いこと、と言うところに話題が行き私が「暗譜の度忘れ」について話をしたところ 「空手でも似たことがある」と、言う。 (この会話は全部英語なのだが、これから大文字のローマ字で書くところは彼が日本語で言った言葉) 「KATAに沿って格闘を進めていく時、KATAを度忘れして一瞬流れが止まってしまうことがある。 これをSUKI(隙)と言う。しかし空手のKATAを審査されるとき、大切なのはSUKIを見せてしまった後、 どうやってSUKIでできた間を回復し、戦い終えるかと言うことで、 必ずしもそのKATA通りに戦い終えることでは無い」と説明し、そのあとでSUKIを、 「意思の力の間のギャップ」と定義した。 はあ~、暗譜の度忘れは「隙」ね~。そんな風に考えたことは無かった。 面白い世界になったものだ、それにしても。 アメリカ人が日本人の私に空手について講義し、 日本人の私がヨーロッパ系アメリカ人の彼に西洋音楽について説明する。

不思議な世の中 Read More »