2010

シリーズ「ピアノの時間」放映開始!

ロサンジェルスの日本語放送テレビ・チャンネル「NTB(Newfield Television Broadcast)」で 私の五分シリーズ「ピアノの時間」の放映が始まりました。 シリーズ第一回目のテーマは「音楽の拍と人間の脈」です。 下記のURLの3;52からこの新コーナーの紹介、4;22~8;47が私の番組となっています。 ご意見、ご感想、ご質問、これからのエピソードのテーマのリクエストなど、 何でもお気軽にお聞かせいただければ幸いです。 http://www.soto-ntb.com/program/2010-12-19/ (このURLをコピー・ペーストして、リンクをご覧ください)

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NYの物凄さ

今年カーネギーホールはJapanNYCと題して、色々な日本と関係のあるプログラムを組んでいる。 その一環として、斎藤記念オーケストラがカーネギーホールで一週間に渡り色々なプログラムを演奏した。癌の闘病を続けている小澤征爾の指揮(体力の低下から、当初の予定を変更してプログラムの一番大きな曲だけを振り、他の曲は若い日本人の指揮者に振らせた)、内田光子や武満徹と言った日本を代表する日本人の出演と、目玉が多く、ニューヨークタイムズも二回に渡って写真入りの大きな批評を載せたが、私は行かなかった。私なりに大事な事をしていたからである。 斎藤記念オーケストラが小澤の指揮でブリテンの「戦争レクイエム」を演奏した土曜日、私は午後から一泊NYに居て、こう言う土曜日を過ごした。 2時~4時半 クローデ・フランクのレッスン(いきさつは前述、レッスンの内容については下記) 5時~7時   ジェフリー・スワン(私の恩師)とお茶と近況報告、音楽の話など、下記。 8時~9時半 クリスマス・パーティーでクリスマス・キャロル伴奏のアルバイト。 9時半     音楽仲間との集まり クローデ・フランクは私にとって音楽の天使の様な人だ。このクリスマス・イブに85歳の誕生日を迎える。ここ何年間かに渡って痴呆が出て、イェール大学で教えている自分の生徒の演奏に興奮して「君は素晴らしい才能の持ち主だ!一体誰に師事しているんだね?」と、自分の生徒だと言う事を全く失念して聞いてしまったり、そういうエピソードは私も沢山目撃しているが、音楽に関しての話になると、物凄く鋭く、そしてベートーヴェンの後期のソナタなどをリュウマチで固まった手で奇跡の様に素晴らしい演奏をしたりする。私はゴールドベルグ変奏曲を今回持って行った。ゴールドベルグと言えば、繰り返しを全部省いても演奏に45分以上かかる長い、長い大曲である。この夏タングルウッドで師事した時よりもさらに身体が一回り小さくなってしまった様なフランク氏と再会して、私は正直、「この素晴らしい曲で音楽鑑賞して、気持ち良く成ってもらえればそれで良い」と思ったのである。ところがフランク氏は私にみっちり2時間半のレッスンをしてくれたのである。最後は私が疲れてしまい、しなくても良いミスを連発してしまった位である。でも、「こんな素晴らしい曲、午後じゅうでも聞いていたいよ!」と仰ってくれ、(これ以上弾かされたらどうしよう)と私はちょっと心配になった。 それでもやっぱり痴呆のサインはある。テーマのアリアを私は「ちょっと表現豊か過ぎるよ。特にこの大曲の一番始めのイントロとして、もう少し荘厳に(stately)弾いてみようよ。さあ、もう一回」と言われ、私がその方向で試みると「もう少し表現豊かに。心配しないで。表現豊か過ぎる、と言う事はあり得ないよ。」と言われたりする。そう言うことが何回か繰り返されて、私は私なりの彼の言葉を解釈して納得した。要するに、彼は構造や大きな方向性を無視して、瞬間瞬間の音楽や音そのもののきれいさに惑わされた小手先の表現を嫌い、しかし大きな構築と方向性をわきまえた上でなら、「表現豊か過ぎる、と言う事はあり得ない」と言っているのではないか。その方向で私が試み始めると、うっとりとした表情で「ビユーティフル!ビユーティフル!」と何回も繰り返してくれるので(本当に「ビ」と「ユ」を全く分けてゆっくり発音して気持ちを表現してくれる)、こちらも本当に嬉しくなってしまう。そう言う繰り返しが変奏曲毎に何回か繰り返され、私も段々色々つかめてきた頃、一度凄い目力でグッとみられて「今、君はバッハが描いた通りの方向性で弾いたよ。バッハの意図を実現したんだよ。分かった?忘れないで。今の感覚を覚えていてね。」と言われた。とても感動した。最後に「君はとても良く練習したね。とても律儀な演奏だ。でも、どちらかと言うと律儀過ぎるよ。微妙な自由、と言うのはいつも必要だ。」と言われた。肝に銘じようと思う。 ジェフリー・スワンは私にとって、全能のゼウスの様な人だ。若いころは主な国際ピアノコンクールの賞を総なめにして鳴らしたのに、ワーグナー研究の権威でもあり、文学、絵画、歴史一般、どんな分野に関しても恐ろしいほど造型が深く、おまけに中国語、イタリア語、ドイツ語、イスラエル語、そして多分他にも数国語喋れるのである。 私はNYに来る時はレッスンをしてもらう時もあるが、ただお茶を頂きに来る時もある。そうして一緒におしゃべりをさせてもらっているだけで、何だか講義をいくつも聞いた様な感じがするのだ。彼は凄い早口で、話題もくるくる変わる。昨日も私の学校生活に関しての質問に始まってヒューストン一般に関する彼自身の意見、彼が音楽監督を務めるイタリアの音楽祭の話、音楽界での政治の話、私の指揮の訓練と指揮に関する彼の一般の見識について、など忙しく色々なトピックをカヴァーした後、私のLibrary of Congressの話、さらにライス大学が創立された1912年と言う年自体の話になった。この頃、「芸術や、芸術運動は、歴史の一大イヴェントを前もって反映する傾向が在る」と言う見解が発表され、話題になっている。1912年と言えば、第一次大戦の直前だ。その視点から見ると、例えばストラヴィンスキーの「春の祭典」(春が無事に到着するよう毎年行われる乙女をいけにえにする原始ロシアの(架空の)儀式をバレーにした作品)の初演が1913年、ショーンベルグの悪夢の様な「月夜のピエロ」が作曲されたのが1912年、他にも絵画でのフォーヴィズム、表現主義、そして文学と、全てが確かにそう言われてみると、破壊的なのである。「そして戦後、何が起こると思う!? 古典主義だよ!」ジェフリー・スワンは目をキラキラさせている。心底、歴史・人類・芸術の不思議に感じ言っている感じだ。本当に楽しそう。こう言う時私は、こう言う先生、先輩、音楽家に成長したいなあ、と思うのである。 その後、アルバイトに直行した。恥も外聞も無く、「アルバイトが在ったら、回して!!」とNYに来る前からあらゆる機会に宣伝していた効果が在って、昨日の夜急に飛び込んできた話である。クリスマス・キャロルを一時間初見で伴奏と言うアルバイトで、もっと若いころは(音楽の安売りはしない)とか言ったかもしれないが、はっきり言って「腹が減っては戦は出来ぬ」なのである。しかもクリスマスのせいか、それとも余りにも土壇場のせいか、報酬も割が良い上に「早めに来て、是非ご馳走を食べてください。パーティーですから沢山ご馳走が出ます」と、何とも嬉しいオファーなのである。住所も5番街の超高級アパート。アパートの間取りが見れるだけでも嬉しい!着いたらば、子供が一人一人並ばされて、歌を歌ったり、ヴァイオリンで「きらきら星」を弾いたり、それを親が目がとろけるような感じで見守る、と言うパーティーだった。アメリカ在住がもう長い、韓国系のアッパークラスの家族が10くらい集まったパーティーといった感じ。ご馳走が凄かった。寿司、キャヴィア、大きなしゃけの切り身、韓国の焼き肉、山菜のたっぷり入った韓国系混ぜご飯。私は宴たけなわで、皆のお腹がくちくなった頃に着いたのだが、それでもご馳走の90%がまだ手つかず、と言う感じで、本当に大量のご馳走なのである。本当に幸せを絵に描いたよう無パーティーで、子供は無邪気に歌い、次のクリスマス・キャロルを選ぶのにキャーキャーと大はしゃぎで一生懸命で、その横でお母さんの一人がそっと目じりをぬぐう、と言う様な、私も幸せのおすそわけをもらった様なパーティ―だった。 そしてアルバイトが無事終わり、何とただの一期一会のアルバイトの私の為にわざわざ用意してくださっていたクリスマス・プレゼントまで頂いて、友達との会合に向かう地下鉄での事。インド系(に見えた)女性が実に疲れた感じで段ボールを敷いて、駅の隅にうずくまっている。その前には「失業中。助けてください」と書かれたサインが。ホームレスを地下鉄の駅で見かけるのは、珍しくない。特に冬は、外はマイナスの厳寒。地下鉄のホームなら少しは寒さがしのげるのである。こう言う物乞いには詐欺も多いし、実は悔しい位の稼ぎが在ると言う噂も流れていて、私は滅多に足を止めない。ところがこの女性は腕に2歳くらいのぐったりと熟睡した女の子を抱えていたのである。こう言う物乞いの稼ぎがイカに多くても、私がどんなに貪欲でずるい詐欺でも、寒い地下鉄のプラットフォームに子供を抱えて夜の10時に座るだろうか?私がおすそわけにあずかった20分前のパーティーの幸せが目の前にちらつく。この落差は何なんだろう。もうすぐクリスマスなのに。。。始めは衝動で、今さっきもらった報酬の半分を上げようかと思ったが、色々考えて、結局2ドル「Happy Holidays」と言って渡した。お母さんは、こちらが救われる様な、割と明るい目で見返して、「thank you」と言ってくれた。何だか免罪符を買った様な、後ろめたい気がしないでもなかったが、他に私に何ができるだろう。これからもう少し考える。

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クローデ・フランク

い昨日、朝一番でメールをチェックしたら「あさって2時からクローデ・フランクのレッスンを受けてください」とメールが来ていた!大慌てで昨日と今日、ぶっ続けでゴールドベルグに何とか形を付けるべく頑張った。 クローデ・フランクと言うのは伝説的なアメリカ人ピアニストで、シュナーベルの弟子として育った人だ。華々しいキャリアを築いただけでなく、その娘のパメラ・フランクもその世代を代表するヴァイオリニストとなった。親子で作成したベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集の録音は絶賛されている。クローデ・フランクは愛妻で、ピアニストでもあったリリアンの死後、ボケが始まってしまい、今ではパメラが演奏旅行や公開レッスンの時も付きっきりで親子ティームでレッスンしている。私は3年前夏の音楽祭で初めてクローデにレッスンをしてもらって以来、去年、今年とタングルウッド音楽祭でレッスンをしてもらう機会が在った。特にこの夏はシューマンのトリオを一週間毎日びっしり2時間ずつパメラとクローデの二人から同時にコーチしてもらう機会に恵まれ、とても沢山学び、考えさせられた。 クローデのボケが進行するにつれ、パメラがピアニストたちに、無料で良いからクローデにレッスンをしてもらうように働きかけ始めた。もう出張レッスンすることが困難になって来て、イェール大学の教授の籍はまだある物の、そこまで電車に乗って出かけることが困難になって来て、家でボーっとする時間が多くなって来ているそう。そう言う父親に少しでも刺激を与えるべく、そしてもう残りわずかな時間に少しでも多くの若者に父親の音楽観を託すべく、若いピアニストたちを招待しているのだ。「あなたがヒューストンに帰るまでに最低二回は来てもらいたい。父は凄く冴えている時と、さっぱりな時の差がこの頃激しいから、沢山来てもらえれば、それだけ冴えている日に当たる確率が増える。だから一回目はなるたけ早くして欲しくって。」と言う、言葉に何だかホロリとしてしまった。 みっちり2日練習。こんなに集中して練習したのは久しぶり。脳みそがとっても使われた感じがする。 明日、楽しみ!

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夢中と夢中の間

私は人生の方針として、幾つか自分で決めている事が在る。 その一つはなるたけ多く、「無我夢中」とか「我を忘れる」位熱中出来ることをしている時間を出来るだけ多く持とう、と言う事だ。その為の労力は厭わない。過去も将来も関係ない。ただ、一所懸命にその瞬間、瞬間を飲み干すことだけに没頭する様な時間。自分の姿勢だけではどうにもならないスケールで、私はそう言う機会に多く恵まれて来ている、と思う。本当に、有難い事だ。 でもそう言う瞬間の総体の人生、と言うのはあり得ないと思う。一貫性に欠いてしまうだろうし、多分人間の身体も感性もそんなに多くの刺激をプロセスし続けることは無理じゃないのか、少なくとも私には無理な様な気がする。 そして、その「夢中」と「夢中」の間、と言うのは誰でも自分を持て余してしまうものなのだろうか? 疲れとメランコリーをしっかりと意識して分けていないとすぐに感情の中で一緒になってしまう。 今朝はゴールドベルグ変奏曲を練習することで始めたが、2時間くらいですぐに没頭できなくなってしまい、そう言う自分がもどかしくて、どうしよう、どうしよう、と歩きまわって急に非常な疲れに気が付いた。ちょっとのつもりで横になったら2時間ほど泥の様に眠ってしまい、起きた時は自分がどこにいるのか覚えていなかった。 そうかあ、私は疲れているんだ。 午後は締め切りを延ばしてもらった今学期最後のペーパーの校正と整理、メールなどの雑用、そして散歩を、全てちょっと上の空でこなして行った。夜はホームステイ先のクリスマス・ツリーの設定と飾り付け。 一度パリに居る時、練習していたら完全に没頭してしまい、一段落した時窓の外を見て、自分がどこにいるのか全く分からずに一瞬凄く混乱した。そう言う没頭を、次はいつ体験出来るんだろう。出来るだけ早くが良いなあ、と思う。 今日は、早寝。

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休暇、休養、友情交信

金曜日の夜遅く、DCから帰って来て土曜日一日、洗濯やDCの復習、ブログ更新、久しぶりの練習などをした後、日曜日から今日火曜日の夜まで、遊びまくって今NJのホームステイ先に帰って来たところです。 コルバーンは小さな学校だったし、そこで培った友情と言うのは実に強い絆だな、と思います。 コルバーンで一緒だった、今イェール大学でピアノ演奏の修士の勉強をしているピアニストが演奏旅行の帰途、NY経由だと言う事で、NYで合流、夕飯を食べて、一緒にイェールのあるニューヘーヴンと言う街まで一緒に電車で言って一泊しました。積もる話は一泊しても尽きる事無く、二人とも寝不足になりましたが、楽しかった。イェール大学は7年ほど前誰かの巨大な寄付金によって音楽学校の生徒の学費が全員全奨学金が出る事になりました。コルバーンと違って生活費は出ませんが、それでも高額の学費が学生を苦しめるアメリカでは信じられないような条件です。コルバーンからも沢山の卒業生がイェールに進んでおり、私は月曜日のお昼は一緒にリサイタルを弾いた事もあるチェリストで同じくイェールの修士に進んだ子とお昼を食べ、NYの帰途はやっぱりコルバーン出身のヴィオラ奏者と一緒に電車の中でずっと喋り続けました。コルバーンで培った人間関係がこんなに深く成るなんて、自分でも意外です。皆再会を狂喜してくれ、一杯思い出話や、近況報告や、将来の夢、不安、理想、音楽のヴィジョンなど、しているうちにお互いどんどんエネルギーを相互向上しているのが感じられ、本当に楽しい一泊二日でした。 イェールからNYに帰った日曜日の夜は私の一番の親友の一人である、ジュリアードのピアノ調律師とそのガールフレンド、ガールフレンドの弟と一緒にヴェネズエラ料理を食べ、調律師とガールフレンドのお家に一泊。ヴェネズエラ料理と言うのは私は初めて食べましたが、凄く、凄く美味しくてびっくりしました。特にアレッパと言うトウモロコシの粉で作ったパン(イングリッシュマフィンに似た形)をポケットの様にして中に肉やアボガドや、野菜や、チーズやを、豆の煮込みをぎっしり詰め込んでソースを垂らして食べます。美味しい!本当にびっくりしました。ヴェネズエラ料理を頂いた後お邪魔したお宅ではまたまた夜が更けるまで話し込んでしまい、熱烈な友情に感激!朝はガールフレンドが作ってくれたオートミールで作ったマフィンで送り出してくれました。 今日は一日使いたい放題の韓国のスパに、こちらは大学2年の時からのやはりピアニストの友達と行きました。色々な薬草やアロマやミネラルのサウナの部屋に出たり入ったりして、寝転がったり、座ったり、立ってストレッチしたりして汗をどくどくかきながら、またまた一杯おしゃべりをしました。私はこう言うスパは初めてでしたが、私の友達がクーポンを持っていたおかげで信じられない程の安値で一日本当に良い気持ちで、身体の疲れをねぎらってあげた気持ちでした。サウナは20分~30分と居ると、飛び出したいくらい暑くなってきますが、サウナを出ると、ジュースバーや、インターネットを使える場所や、ゆったりと座れる王様が座る様なソファーが沢山置いてある休憩所が在って、美味しい健康的な韓国料理を出す食事の場所も在ります。長く会っていない旧友と一日過ごすのには最高の場所でした。今NYはマイナス8度。でもこうやって一日中サウナで遊んで、ゆっくりお風呂に使った後は寒さを辛く感じませんでした。 物凄く楽しい数日でした。明日からはNJで精進します。

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