July 2012

日本食にケチャップ

日本で演奏会を始めて数年後のこと、母とこんな会話をした。 母はチケットの売れ行きを案じて 私に「皆に耳馴染みがある、ポピュラーな曲も少しプログラムに入れて」と頼んだ。 そして私はそれを突っぱねたのだった。 「アメリカで日本食レストランを始める時、アメリカ人に食べやすいようにってケチャップかける? そうじゃないでしょ、少し分かってもらうのに時間がかかるとしても、 ちゃんと昆布や鰹節でお出汁をとって、 美味しいもの、心をこめて作った物はいつかは美味しいと思ってもらえるって信じたいでしょ? 私も同じ。 ちょっと取っ付き難くても自分が一番凄いと思う曲や作曲家を 心をこめて、『良い物は伝わる』と信じて妥協せずに演奏したい」 と言うのが私の反論だった。 以来私はこの12二年間、家族と「世界で活躍する演奏家を応援する会」NPOが見守る中、 自分の好きな曲を一生懸命弾いてきた。 ベートーヴェンの中でも最長で、もっとも難解とされる「ハンマークラヴィア」や 演奏時間が一時間を有に1時間を越える「ゴールドベルグ変奏曲」など、 普通の主催者ならしり込みするようなプログラムも 家族や、「世界で活躍する演奏家を応援する会」の会長の斉藤さん、そして私の聴衆は 暖かく見守って許容して下さった。 しかし今年日本で、私は自分が主体でない演奏会にいくつか共演者として参加することになった。 チェリストとの共演と、「すかピア」(横須賀ゆかりのピアニスト・グループ)である。 これらはずっと聴衆を意識した選曲を行った。 この二つの全く関係ないプログラムが両方 「カルメン・ファンタジー」と日本の童謡である「夏の思い出」の編曲が含まれている、 と言えば大体分かっていただけるだろう。 そして、お客様は確かに楽しんでいらしている。 父も、大喜び。 私と議論を戦わせた母はさすがに簡単にはこの選曲を慶んで見せることはしないが、 今、私はちょっと迷っている。 私だって「夏の思い出」を弾くのが楽しくないわけではないのだ。 でもやっぱり、こだわって、精進して、背伸びして、聴衆に挑戦したい! 7月7日、王子ホールで演奏した「カルメン幻想曲」です。

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日記をつける、と言うこと

2009年の夏、タングルウッド音楽祭の研究生としての毎日が始まった時、 世界的な音楽家と一緒にレッスンしたり、コーチングを受けたりする夢のような機会を経た幸運を 他の私のような若い音楽家たちや音楽愛好家たちと分かち合いたくてブログを始めて以来 2012年が明ける頃ま定期的にブログ更新して来た。 始めは自分が得た幸運な機会から一人でも多くの人がちょっとでも学ぶヒントを得られればと思っていたが、 その後日記をつけることで自分自身の毎日を反芻、反省し、 自分の考えを反復してまとめる機会としてかけがえないの無いものとなって来た。 今年1月ごろからコンピューターの不調で更新をあきらめてからこっち、 少し意識に変化が出てきた、と思う。 全ての思考を言葉にすることを自分に義務付けることをやめてから 言葉に出来ない部分、と言うのが自分に許容できるようになってきた。 しかし今、こうしてまたブログをつけようと夜アメーバをあける時、 しばし(何を書こう)と悩んでしまう。 前は無かった事。 このバランスが難しい。 今日はとても楽しいリハーサルを5時間も仲間とやったのに。 この土曜日の演奏会に向けて、着々と連帯感が生まれてきている。 明日もまたリハーサル。 この新進については、又明日。

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次の演奏会

さて、私の次の演奏会は横須賀ゆかりのピアニストが集まった「すかピア」。 今週21日(土)2時開場、2時半開縁、横須賀ベイサイドポケットにて。 ソロ・ピアノに始まり、一台のピアノにおける連弾、6手、8手、 そして2台のピアノでの最高7人のピアニストによる大合奏! 詳しくはHPにて! http://www.sukapia.com/ 大変なのはリハーサルです。 2台の同等に弾けるピアノがある場所、と言うのは中々無い物です。 いろいろな音楽学校などがご協力くださり、がんばっていますが、 時間に制限があり、中々2時半から9時までのプログラムを全部リハーサルするのは大変! と言う事で小出しに今週は火曜日、水曜日、木曜日、と毎日リハーサル! がんばります。 韓国に行く前、7月7日に王子ホールでブルガリア人のチェリスト、ラチェザールと出演したコンサートのヴィデオです。http://www.youtube.com/watch?v=HiHxY6SNa7o

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韓国4日目-最終日

昨日の夜、どうしてもアイスクリームが食べたくて、ホテルの外の角にあったタバコ屋さんのようなところでアイスを買った。店番は老夫婦。私が韓国語を喋れないと分かると、やさしい顔で「チャイナ?」と聞いてきた。私は一瞬迷ってしまった。かなりの高齢だ。もしかしたら日本の植民地時代を体験した世代かも知れない。こんなにやさしそうな顔をした人に意地悪をされることは想像できないけれど、でも不快感を与えるのは忍びない。アメリカ、と言ってしまおうか。でも「ジャパン」と言った。言うことに決めたのなら堂々と、目を見て言えばよかったのに、目を伏せてしまった。「おお、ジャパン!」と向こうはあくまで友好的で優しかったが、私が目を伏せてしまったので、会話はそこで途切れてしまった。 それがちょっとさびしかった翌日の朝、こんな嬉しいことがあった。今日は練習が無くて、久しぶりに朝が暇だった。東大門の前の市場は必見と発起人に進められている。行ってみよう!地下鉄に張り切って乗った。ガイドブックは片時も離さない。地下鉄の路線マップなど、いつもどうしても必要な情報が満載だからだ。地下鉄に乗り込んで東大門についてガイドブックを読んでいたら、車内アナウンスがあった。もちろん全て韓国語である。「何かなあ?」と思っていたら、隣に居た50代くらいの男性が「どこに行きますか?」と日本語で聞いてきた。「東大門まで」と言うと、「この電車は次の駅が終点になります。でも、東大門なら次の駅で乗り換え出来ます。」と教えてくれた。とても嬉しかったので、さっきから(あ、日本人だ~)と思いながら意識していた、同じ車内の二人の日本人女性にも「次が終点になるそうですよ」と教えてくれた。二人はとても慌てていた。韓国人男性は親切なことに「私も乗り換えますから、一緒に行きましょう」と誘ってくれた。とても心強い。だからその日本人女性二人も誘った。「私は1番に乗り換えますけど、この人が連れて行ってくれるそうですから良かったら一緒にどうぞ」。二人はとても喜んで、結局4人で1番線まで歩いて行くことになった。男性は口数が少なく、でもいつも角を曲がる時などは3人がちゃんと付いて来ているかさりげなく確かめてくれて、とても感じが良い。1番線のホームに行くところで、男性が二人連れに「あなた方はどこまで行くのですか?」と聞いた。すると、二人の女性が行こうとしているところは1番線では行けないことが判明。男性はとても困った顔を一瞬して、でも次の瞬間私に向かって「私はこの二人を案内して正しい電車に連れて行きますから、あなたはこの電車で東大門まで行ってください」と言って、二人をつれてさりげなく去ってしまった。この人も本当は1番線に乗るはずだったのに、なんという親切!そしてこの人はどうして私たちにこんなに親切にしてくれる気持ちになったのだろう。私は本当に、本当に嬉しい気持ちになった。 お昼は世宗文化会館の地下一階のレストランで韓国の伝統的なコースを頂いた。これでもか、これでもか、といろいろな料理が出てくる。もう終わりか、と思ってもまだまだ出てくる。とても興味を持って一応全部に箸をつけたが、とても全部食べきれる物ではない。最後にはすの葉に包まれて炊かれた雑穀米が出てきた時はその包み方の美しさ、香りの高さ、色の美しさにとても心を打たれたが、でも半分以上残してしまった。ご馳走してくださったのはこの旅の発起人のご紹介下さった、韓国の日本近代文学の権威ある教授である。彼女は「中国と同じように韓国でもおもてなしをするときは、相手が食べきれないくらい出すのが礼儀なのです。だから残して良いのですよ」とおっしゃってくださったが、でもちょっともったいなかった。 その後光科門をくぐり、その向こうにある王宮を見学した。ちょうど日本語ツアーに間に合うことが出来た。韓国の民族衣装をまとったその方はとても流暢な日本語で見事なツアーを一時間、丁寧にして下さった。本当は日本が1895年に女王を殺したり、侵略した日本軍が王宮の2棟を残した全てを破壊した、などセンシティブな歴史もある王宮なはずなのだが、そう言うことは日本語ツアーでは最小限しか触れず、どのビルがどのような役割を持っていたか、それぞれの装飾にはどういった象徴的な意味があるのか、と言った説明に始終していた。王宮に隣接している民族博物館で、韓国の歴史を垣間見た後、インサドンでいろいろな勧告伝統の工芸品を扱うお店や伝統喫茶、屋台などで買い食いしたりして楽しんだ。 屋台にはいかにも「お父さん」「お母さん」的な人たちがぐつぐつといろいろな物を焼いたり、炊いたり、揚げたりしている。私はまず、日本の焼き鳥にとても似た物を頂いた。鶏肉とねぎが交互に刺さっていて、指差すと網で焼いてくれる。その後にコッチジャンという韓国の辛みそを塗ってくれる。「スパイシー、OK?]とか、手振りで私の白いシャツにソースがたれないように気をつけろ、とかいろいろコミュニケーションしてくれる。そして焼き鳥を食べ進めるにつれ、パチン、パチンと串を短くして食べやすくしてくれる。その次に食べたのはお母さん的な人がやってる屋台。日本の二つ分はありそうな大きな餃子を一つ、注文してあげたら「あいよ!」と言う感じで、ジューっと揚げてくれる。それから太巻きを薄い卵焼きで包んだ物も頂いた。おいしかったのもそうだけれど、身振り手振りの見知らぬ韓国人との意思疎通が嬉しくて、とても元気になってしまった。 こういうのが、一人旅の醍醐味だよなあ、と思う。ホテルへの帰りの地下鉄ででいろいろな外国で私が今まで経験したこういう醍醐味を思い出した。ギリシャの港で私の隣に座り込み、ギリシャ語で語りかけてきた老人。ジャマイカの市場で、ほしい野菜や果物をたずねて次々と的確に案内してくれて、報酬などは全く要求せずに最後に手を振ってニコニコと「私のこと、ずっと覚えていてね」と言ったジャマイカの10歳くらいの可愛い女の子。トルコの屋台で小さなカリカリのワッフルみたいな物を売っていた女の子。私はどうしてもその味が知りたかったのだけれど、両替したばかりで大きなお札しか無く、そのお菓子はとても安かったのです。そしたら「いいの、明日来た時払って」と言って、私におごってくれた。そこは沢山の客船がちょっとだけ止まる港場で私は見るからに外国人。その子の真意を計りかね、私が戸惑ったら、その子はサッサとお菓子を包んで、すっと差し出してくれました。そう言う一期一会をこうして韓国の最終日に思い出していると、なんだか涙が出てくるような気持ちになります。

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韓国3日目。「美人」考察

韓国一日目のブログにも書いたが、韓国には整形手術の宣伝、そしてクリニックの看板が多い。 演奏会場に行き、並ぶチラシを見て私が「みんな美人だね~」と声を上げたところ、一緒に居た友達が「この子は鼻を直してるね」「この子は目をいじったね」「この子は顔の輪郭を…」などそれぞれのチラシを指差して指摘し始めた。私にはそんなことぜんぜん分からないから、彼女の言っていることにどれくらい真実味があるのかにわかに信じがたい。でも彼女と別れて一人ソウルの道を歩いていると、美人とすれ違うたびに注意して見てしまう。 私がまだアメリカに行く前のある日、こんなことがあった。新聞の見開きいっぱいに「日本美少女コンテスト」の過去の入賞者何十人もの顔写真が並べられていたのだ。たぶん公募の広告だったのだろう。私はその顔写真を一つ一つじっくり見てみた。そして私はこの「美しい」とされる顔のどれにも似ていない、と言う事実を本当に悲しい気持ちで受け止めていた。しかし、一つ一つ写真を進み続けるにつれ、私はその写真がそれぞれとても良く似ていることに気がつき始めた。「私は美しくなるより、自分らしくなりたい」と決めたのはその時だ。 私は「自分らしさ」を追及するべく、割りと非常識な選択をして今までの人生を築いて来た、と思う。例えば、私は音楽の修行を、物質的豊かさや、将来のための貯蓄に優先させる、と言う選択を毎日している。今まで食べるのに困ったことが無いが、寝食に直結しない投資は「贅沢」と思ってきた。だから服は古着がほとんどだし、化粧などは本当につい最近まで演奏用にしか買ったことが無かった。そんな私を心配して、イカに視覚的印象が大事か、友人や支援者、そして家族は私にいろいろ助言や、叱責、時にはプレゼントまでしてくれたりした。 しかし、2012年が明けたころから私は化粧をし、ヒールを履くようになった。そして食べ物に気をつけるようになり、少しだけやせた。そう言う自分に対する金銭、時間、そして気持ちの投資がセルフ・イメージを向上し、自信につながる、と強く説教する人に言い負かされたからである。化粧やおしゃれの努力が直接自信につながっているかどうかは分からないが、しかし周りが前より好意的だ、と感じる。そして、それは気持ちが良い。気持ちが良いから、私も前より微笑むし、そうすると循環的にいろいろな事がどんどんスムーズに成ってくる。私は確かに前より幸せになった。 でもなぜ、人はすっぴんで運動靴の私より、化粧してヒールを履いた私に優しいのか?世間の常識を突っぱねて反抗的な私の態度が問題なのか、それともそれはもっと視覚的なものなのか?化粧してより常識的な美人に近づく努力をしている私は、よりFamiliar(親しみやすい?親しみがある)からだろうか?より共感を持てるのだろうか?より同情的になれるのだろうか? じゃあ、どこまでやっても良いのか?白髪染め?歯の矯正?エステ?整形?どこまでダイエット?どこまで服飾に投資?そしてそう言う選択に伴う投資のための人生の選択は、「わたしらしさ」をどこまでとどめておけるのか?「私」はどこまで「私」なのか? 化粧に慣れた私は今では、化粧した自分の顔のほうがより「自分らしい」と思ってしまう。整形も同じなのか?韓国では就職活動の前に多くの女子が整形をする、と言う。「不美人差別」の人権運動と言うのを誰も唱えないのはなぜか。整形手術の横行のほかにもう一つ韓国で気がついたことがある。ふてぶてしく太っている若い女の子たちが割りと居るのである。日本では見られないくらい、ほとんどアメリカ人並みに、病的に太っている10代くらいの女の子たちである。この子たちは整形では救いようが無い。そして、それもやはり彼女たちの選択なのだ、と思う。「美人優先」に対する、ある種の反抗、あるいは抗議 ―しかしその自己犠牲はあまりにも高い気がする。

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