September 2015

日本の一般文化にちょっと触れ、ちょっと考察

私は、自慢では無いが、日本語の読書スピードが早い。 (英語はそれよりずっと遅いし、日本語はそのスピードが故に読み落としていることが多いと思う) 今年の芥川賞を受賞した「火花」は一日で読んでしまった。 まずその本の薄さにびっくりし、 次に一人称の視点から書かれた私小説タイプの小説なのに (やっぱりその方が特に今の文字離れが進んだ読者には受けるのかな)と思った。 これが芥川賞か...私が書いたら、取れるかな? マイナーお笑い芸人のキャリアを叩き上げのところから引退まで、 主にその師匠との関係を語ることで追う、と言う小説。 芸人としての苦労にはある程度感銘を受けたが、 その自虐的な笑いの取り方にはちょっとびっくり。 途中で結構感銘を受けたところもあるのだが、 最後の「おち(❓)」にかなり引いた。 一番感銘を受けたところは32ページ目にある神谷さんの指摘。 「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会に成り下がってしまわへんか?ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピールに成り下がってしまわへんか?本で、両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会に成り下がってしまわへんか?」 ここで、(おお、伝統芸術―クラシックを含む―の難しさを上手くついている!)と、 とても嬉しくなった。 しかし、そこからは本当に私には憐れみだけが強調されているような、 いたたまれないような、共感がしにくいストーリーと登場人物の発展で、 後味がかなり悪く、 テレビで筆者がコマーシャルで 「あほが書いたあほな小説」とプロモーション(?)してるのを見たときには 「やめて~!!」と思った。 火花に前後して今年直木賞を受賞した「サラバ!」を読んだ。 (これは一週間くらいかけた) 私が私小説を書いたら(書ける、とは言っていない…まだ) 「火花」よりは「サラバ!」の方に近くなると思う。 しかし、彼女の文体、ストーリー展開、そして登場人物に平凡と極端が入り混じることなど、 この小説に登場するジョン・アーヴィングにすごく似ているように感じる。 John Irvingは私が一時かなり読んだ小説家で、 特にその「A Prayer for Owen Meany」はすごく良いと思う。 でも、日本語に非常に訳しにくい文体で、日本語でどれだけ読まれているか、私には疑問。 沢山の作品が映画化されているけれど、 でも「サラバ!」の作者は絶対John Irvingを読んでいる、と確信している。 英語で読んだのかな? 一冊だけ読んで、この作者についてどうこう言うのは申し訳ない、 もっと読もう、と思わさせてくれる。 今、読書中なのは篠田節子の「沈黙の画布」。 面白い。 面白いから、今かなり唯一に近い読書タイムである電車移動時間が待ち遠しい。 田舎の男性画家が死後、さまざまないきさつから脚光を浴びるにいたり、 その生涯も明るみに出て、 その作品と共にいろいろな人の考察と自己反省、 さらに芸術とは、芸術家とは、何かと言う問いかけのきっかけになると言う小説。 最後に、昨日「いつやるの?今でしょ!」と題された、 林修のレクチャーを聴きに行く機会が昨日あった。 彼のジョークは日本に一年約一か月の滞在しかしない私には理解できない、 日本固有なローカルなものが多く、(例えば芸能人や芸能界の話題、など) その彼のトークだけで関内ホール大ホールが90パーセント埋まる、と言う事実に […]

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練習時間の不思議。質>量

時間が限りあるものだと言うことは、大人になればなるほど実感する。 練習時間も、大人になればなるほど限られてくる。 責任の増加、行動範囲の広がり、やりたい事の明確化… そのすべてが(もっと時間があったら!)と、時々私たちに思わせてしまう。 でも、同時に限りある時間だからありがたみが出てくる、と言うこともある。 聞いた話しだが、 死刑囚と、終身刑囚では、死刑囚の方が更生したり、宗教に開眼したり、本を書いたり、 充実した時間を送る可能性が高いそうだ。 どれだけ時間があるか、では無い。 ある時間をどう使うか、なのだ。 全く同じことが練習時間についても言える。 若いころは練習だけしていれば良かった。 でも大人になってくると、自分の生活のための諸々だけでなく、 演奏会の企画・運営も多くが演奏者自身にかかってきたり、 また社会人として、音楽とは関係の無い責任や周囲からの期待も増えてくる。 そんな中、10分でも有効利用して、質の高い練習ができるかどうかが 演奏家の存命にかかっているのだと思う。 今週はほぼ毎日、スカぴあのリハーサル! しかし、私の日本滞在日数もカウント・ダウンが始まって、 その為の諸々や、アメリカに帰ってからの諸々もまた、 私の「やることリスト」を長くしている。 落ち着いて、一つ一つ片づけて、 そして細かい時間にも感謝して、できることを積極的にする! がんばるぞ!

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『ミュージシャンシップ』と言う概念

今週の日曜日は5周年を祝う横須賀芸術劇場のピアノの祭典 『スカぴあ』が開催されます!! スカぴあがいかに素晴らしいか、今週は色々考察。 「スポーツマンシップ」と言葉の定義をインターネットで検索すると 「運動選手になくてはならない正々堂々と勝負を争う精神・態度」 と、出てくる。(http://www.jlogos.com/d001/705140110.html) それに対して「ミュージシャンシップ」と引いても、日本語では出てこない。 英語の場合、これは「音楽を演奏するための知識、技術、感受性」 と、出てくる。(http://dictionary.reference.com/browse/musicianship) もう少し「演奏」と言う行為に直接的な、性質と訓練・勉強で、 態度はここには含まれない。 そして、音楽家同士のライヴァル行為、お互いを貶めるような行為と言うのは 悲しいことに多くある。 その理由の一つには、音楽や演奏を審査する基準が非常に主観的になる、と言うことがある。 もう一つは、スポーツの種目によっては非常に大事になる「チームワーク」が 少なくともピアニストの場合、その養育段階に於いて ほとんど学ぶ機会が無い、と言うことがある。 それだけではない。 ピアニストになるためには、子供のころから小さな個室にピアノと共にこもって 何時間も、まるで織物を織る「鶴の恩返し」の鶴のように 隠れるように、練習することが必要となる。 チームワークどころではない、社会性すら、欠如しやすい背景があるのである。 そんな中で、横須賀ゆかりの4人のピアニスト・グループは ピアニストがお互いをライヴァル視するのではなく、協力しあうことによって いかに音楽が膨らむか、と言うことに注目する協同体。 4人で共演するだけでなく、企画・実行、広報・集客、 どうやって「スカぴあ」を継続・成長させるかと言うことに於いても、 一緒にアイディアと力を出し合ってやっている 本当に貴重なグループだ、と私は思っています。 そして「ミュージシャンシップ」と言う言葉を 「スポーツマンシップ」の音楽に於ける対語として体現しているグループ。 私の、音楽人生の理想を形にしたようなグループです。 このグループの一員である事は、私の誇りだし、 このグループの活動が5年目になることは本当に嬉しい! ピアノは一人でも音楽が完全に奏でられる楽器です。 同じように、今の社会は一人の人間が、誰の力も借りずにテクノロジーを駆使して ほとんどのことをこなせる時代です。 でも、ピアノは一人で弾けるけど、二人、三人、四人と集まると、 一人ではできなかったこと、一人では難しかったことが どんどん、どんどん可能になる。 どんどん、どんどン楽しくなる! それが大事なんです!! スカぴあ今週日曜日! よろしくお願いします。

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