January 2010

旅の復習

今回の行程はこんなでした。 1・14(木)  8時半家を出る 8;58のNJ Transit(NJ州の電車)でNY Penn Stationに9:40着 10;15発のAmtrak(アメリカ国内を駆け巡る電車)で Rochester、NYに 4;52着 コルバーン卒業生(Rochester Philharmonicの団員とその夫)と夕食。 少し練習。 この夏のタングルウッドのルームメート(作曲家)宅に泊まり。 1・15(金)  Eastman School of Musicでの一日 2つレッスンを受け、公開レッスンとリサイタル(ある教授の生徒たちの発表会)を聴講。 夜はMercury Opera Rochester制作の「椿姫」を観る。 その後、オペラのオケで弾いていた友達の家に泊まり。 1・16(土) 10時に友達の家を出発 11時Rochester発のGreyhound(アメリカ国内を駆け巡るバス)で、Ithaca,NYに1時半過ぎ着 2001年以来の友達夫婦(夫は現在コーネル大学職員、妻は地域の図書館館長)にコーネル大学の美術館、教会、図書館などを案内してもらい、その後ハイキング。凄い自然。滝が沢山あってそれが80%凍っている。絶景。 1・17(日) Ithaca探検。Ithacaの町はヒッピーの町!? またまたハイキング、そしてIthacaのビール工場でビール試飲~無料で飲み放題! 1・18(月) 9:45Ithaca発のGreyhoundでマンハッタンに3時着。 4時から練習 夜は、友達と会う。 1・19(火) 朝、練習 午後 City University of NY視察、教授とお話。 夜、マリンバ奏者、作曲家、ピアニスト、スポーツ心理学者(兼いろいろ)、絵描き、彫刻家、とお鍋大会。 1・20(水) 朝ご飯と、昼ごはんの別々の友達と約束。途中は色々野暮用。 2;30にNJ州に帰ってくる。 今回の旅で一番心に残っているのは、Ithacaで見た凍った滝です。 そういう滝は沢山あったのだけれど、どれも凄く圧倒的だった。 それから色々なところで頑張っている私のお友達たちの生き様、そして哲学。 今年の5月でコルバーンを卒業する私はこれからの人生をどこでどう過ごすのか、今考え中です。 そう言う私を多いに刺激してくれる久しぶりの再会、そして白熱議論の1週間でした。 私は良いお友達に恵まれていて、幸せです。

旅の復習 Read More »

明日から、旅してきます。

私は旅が好きだ。 沢山旅をしたから好きになったのか、もともと好きだったから旅の多い人生を無意識に選んだのか? どちらにしても、音楽家になって良かったなあ、と思う理由の一つは色々なところを旅出来たからだし、これからも多分一杯旅をするからだ。観光とは程遠い、凄い田舎や、行ったことが無ければ地理の苦手な私は存在も知らなかったような国にも行った。凄いおもてなしを受けたこともあるし、物凄い限られた資金で物凄い貧乏旅行をしたこともある。 一度、こんなことがあった。ツアーをしているオーケストラに合流してコンチェルトのソロを務める、という仕事が来た。ニューヨークから現地入りをするのに、マネージメントがバスを手配してくれた。バスはアメリカでは一番安い交通手段だ。ちょっと安全性に乏しいというイメージがあり、私は大抵移動は飛行機か電車なので、バスで遠くまで行くのは物珍しく、バスの乗客も私が日常的に接しているのとは少し違ったグループに属している人たち、と言う感じがし、それはそれで結構楽しんでいたのだ。その演奏会場は非常な田舎にあり、最寄りのバス・ステーションから車で何時間も行かなければいけない。バス・ステーションからの交通手段は演奏会の主催者側が手配することになっていた。私にはただ「バス・ステーションに主催者側が迎えをよこしているはずだ」とだけ、教えられていた。 ところが、ひなびた感じのバス・ステーションについてみてびっくり!主催者が私の為にストレッチ・リモジンをよこしていたのだ。映画に出てくるような長~い車で、中にはバーもあるし、映画も音楽も自分で好きなものを選べるようになっている。天井も開くし、ラクラク寝転がれるくらい広いのだ。 私にはただそのギャップが面白かった。 随分話しが横にそれてしまったが、明日から5日くらい旅行に行ってきます。 多分ブログはしばらくお休み。

明日から、旅してきます。 Read More »

パーティーで弾く、と言うこと

私がまだ初々しい学部生の時、先生がこんな話をしてくれた。 この先生はとても皮肉なユーモアのセンスに長けた人で、 いつも音楽家 vs。世界と言う、「いかに芸術や教養に理解の無い世界で戦っていくか」系の話が多かった。 彼自身の演奏会のあとの彼を讃えてのレセプションで、聴衆の一人「A」からアプローチされた。 A: 「素晴らしい演奏会でした。ところで、そこにアップライトがありますが、ちょっと弾いていただけませんか」 先生: 「ふ~ん、面白い提案ですね。ところで、あなたの職業はなんですか?」 A: 「私は医者ですが」 先生: 「素晴らしい職業ですね。ところで、そこに豚の丸焼きがありますが、解剖してみせてくれませんか」 パーティーに行くと、良く「ちょっと弾いてくれ」と言われる。 まだ若い時は、結構喜んで頼まれれば弾いていたこともあった。 でも、普通の家やパーティー会場、学校に在るピアノと言うのは必ずしも良いコンディションに無い。 弾いている最中にペダルがさびていて、「ポロッ」と取れてしまったことがある。 調律が半音以上狂っていて、私は絶対音階があるので混乱してしまって、散々だったこともある。 ピアノが大丈夫でも「弾いて」と頼んだのは向こうなのに、曲の最中に明らかに退屈されて悲しい時もある。 両親が帰国した後16歳で単身でアメリカに残った私はアメリカ人老夫婦に引き取られ、ホームステイをして高校生活の残り、1年半を過ごした。私はいわゆる「難しい年頃」だったし、英語がうまく喋れない恥ずかしさ、もどかしさ、寂しさで、非常にひねくれて、大変扱いにくい子供だったと思う。私のアメリカン・ペアレンツは大変善意に満ちた、古き良きアメリカ人だし、私が高校を卒業して約束の期間が終わった後でも私のピアノと私の部屋をそのままにしておいてくれ、今では本当に家族だ。でも本当に「家族」になるまでは、山あり谷ありの道のりだった。一番の険悪の原因はいつもこの「パーティーでの演奏」だった。社交好きの夫婦だから、ほぼ毎週お客様をする。お客さんは大抵私より何世代も年上である。言葉の壁もあるし、共通の話題も無い。"Children should be seen, not heard (子供は見て可愛いだけで、口を開かせるものではない)”と言う憎たらしいアメリカのことわざがある。私はいわゆる“child"と言うには年齢も自意識も過ぎていたが、言葉のハンディキャップにおいても、「好意で受け入れてもらっているアジアからの留学生」と言う立場上も、「子供」だった。私は食事中は黙りこくり、お皿の出し下げ、飲み物を継ぎ足したり、お手伝いに徹する。そして食事が終わり、アメリカン・マザーがデザートをを準備する間、 即されて、ピアノを弾く。始めはせめてものお返し、と言う気持ちもあったし、特に問題意識は無かった。でも明らかに迷惑そうに耐えているお客もいる。ポップスのリクエストを出したり、私の演奏について物知り顔で批評をするお客もいる。BGM扱いで喋り続けるお客もいる。逆に泣いて感激してくれたお客さんだっているし、良い演奏の練習になったと考えられなくもないのに、なぜこんなにこの「パーティーでの演奏」に嫌悪感を催すようになったのか。何度も怒鳴りあいのけんかをした。お客さんの前で派手にやりあったこともある。つたない英語で、何度も説明しようとした。私にとって音楽は宗教の様に大切なもので、でもあなたにとってはエンターテイメントでしかない。人の「宗教」を指をさして面白がったり、人に見せびらかして自慢したり、食後の娯楽にしたりするな! でも、そこまで言ってしまったら、演奏会で演奏するのだって結局だめになってしまう。ショーンベルグは理解の無い一般聴衆、そして言葉の尽くして彼の作曲をこき下ろす批評家に業を煮やして、招待された理解者しか聴衆の一員に入れない毎月一回の演奏会を始めた。ミルトン・バビットは「Who cares if you listen?(聴いてくれなくたって気にしない)」と言うエッセーを書いた。その趣旨は作曲家が聴衆に媚を売る様になったらおしまいだ。大学などの教育機関が作曲家の生活を保障し、作曲家の生活がチケットの売り上げと関係無くするべきだ、と言う非常に反感と注目を浴びた歴史的なエッセーだ。私はミルトン・バビットと同じなのか?クラシック音楽は美術館や、博物館や、大学だけに存在するもので良いのか? 昨日、ジョーン(私のアメリカン・マザー)の75歳の誕生日パーティーが盛大に開かれた。保護者は、私の言い分を理解したわけではないが、喧嘩を避けるためか、尊重を態度で示すためか、もう何年も私に演奏を強要をすることをしていない。でも先週、何年かぶりに「今度のパーティーで弾くのも、いやなの?」と泣き声で聴かれた。私は一週間迷い続けた。私の言い分は理屈にかなっているのか。私自身のピアノは地下にあり、パーティーで演奏する、居間に在るピアノは、ワインの染みが痛々しい、ほとんどインテリアの為に買われた家具の様なピアノである。 音色がどうの、歌心がどうの、と言う余地のない、不本意な演奏になる。でも、サロンで演奏して金持ちとこねを作らなければ、音楽家として生活を立てられなかったロマン派の作曲家はどんなピアノでも弾いたはずだ。そして、貴族の召使として作曲や演奏をした、古典派の作曲家は、どうなるのだ。音楽とは、何か。「芸術」と「娯楽」の違いは何か。 高校生だった私に選択の余地がほとんど与えられていなかった、と言うことが一番の問題だったのかもしれない。これは私の音楽を大切に思う気持ちよりも、若かった私なりの最後の自己主張だったのかも。それに、今は私のアメリカン・ペアレンツもどんどん高齢になって来て、私は大人になり、晴れて英語にも不自由しなくなり、私は前の様に弱い立場ではない。私が強く拒否すれば、向こうは受け入れるしかないし、私が弾く選択すれば、喜んで感謝してくれるだろう。それでも一週間迷ったのは、ここで弾いてしまったら高校生の自分を裏切るような、あんなに一生懸命主張したことを覆すような、はっきり言って悔しい気持ちがあった。 音楽とは、何なのか。今、音楽セラピーに関する本を読んでいて、音楽の生態学的、神経学的効果に目からうろこが落ちる思いで読んでいる。高校生の私がそんなに苦労して弾くことを拒否したのには「どうせ分かってくれない癖に」と言う高校生特有の傲慢な論理があったと思う。でも、「分かる」「分からない」に関係無く、音楽に時空を超えた普遍的な「人間性」をコミュニケートする力がある、と信じるから私はこの道を選んだのではないか。高齢になり、リュウマチで毎日痛み止めを飲んだり、階段の乗り降りに苦労している、私を本当の子供のように可愛がり、私のわがままにも付き合ってくれた老夫婦の、頭では無く、痛むひざ、疲れた心臓の為に、弾く選択を、しよう。 弾いた。 40人ほどのお客さんが、びっくりするほどシーンとして聴いてくれた。ジョーンは泣いて、喜んでくれた。 弾いて良かった。

パーティーで弾く、と言うこと Read More »

「ポーエトリー・スラム」に行ってきた。

Newyorican Poets Cafe ("Newyorican"と言うのは造語で "New Yorker(ニューヨーク人)"と言う単語と"Puerto Rican (プエルトリコ人)"と言う単語を足して二で割って出来る。)と言う、私は今まで全然知らなかったけど、その世界では超有名な場所に行ってきた。何が有名かと言うと"Poetry Slam"と言う、詩の朗読のコンクール見たいなものの全国大会の発祥地として、そして今でもそのメッカとして。コンクールへの出場権を獲得した詩人たちが、観客の前で自作の詩を読みあげ、それに観客の中から選ばれた審査員がスコアを付け、予選、二次、そして本選と最終的に優勝者を決めていく。この「詩のコンクール」は、シカゴ、そしてサン・フランシスコで1980年代半ばに発祥、次第にニューヨークまで来て、アメリカ全体に広まったが、その後世界中に広まっているらしい。   私はこの詩の朗読大会に色々なものを期待して行った。きっと色々な人が色々な芸術的実験をしているに違い無い。常識や固定観念をぶっ壊してくれるようなものに巡り合えるかも知れない。新しいものに出会いたかった。自分の日常から脱出したかった。 始めは本当に息をのむような思いがした。まず空間から非日常的だ。倉庫のような吹き抜けのレンガ造りのだだっ広いスペースの一角にバーがあり、壁の一部にちょっと高くなっているところがある―これが、ステージだ。そこに人がぎっしり、本当にぎっしり入っている。身動きが出来ない。日本の通勤ラッシュ程ではないが、日曜日の午後のデパートのエレベーターくらいの混み具合。その皆が息をのんで、詩の朗読を聞き、ゴスペル教会のように、相槌や合いの手が入る。詩そのものは非常なリズム感があり、はっきりとした韻が抑揚のある読み方で強調され、非常にエネルギッシュでかっこいい。 ところが、2人、3人と進むにつれて、段々違和感が生まれてきた。 皆、似ているのだ。 虐げられた人間、抑圧的な社会の被害者、と言う視点からの詩、ばかりである。その理由は、性差別、人種差別、、レイプの被害者、同性愛者、トランスジェンダー、いじめの被害者、など多様だが、皆、どんな悲劇を通り抜けてきたか、どう言う怒りを感じるか、でもそれをどうやって乗り越えていくか、と言う起承転結なのである。そして読み方も静かに、クールに始めて、段々熱して来て、早口になり、声を高めていき、叫んで、そしてまた静かに戻る、と云うものが多い。スピードを増したままで終わるものもあるが、まあ、そう言う感じである。 確かに、エネルギーはもらった。 皆、ああやって詩を読むことで、自分のやるせなさに方を付けているんだ、と言うことも分かった。 でも、なんだか宗教とか、ある儀式を目撃した気持ちだった。 それはそれで、良いのだが。

「ポーエトリー・スラム」に行ってきた。 Read More »