June 2010

忙しくなって来ました。

タングルウッドも今日6日目。段々忙しく成って来ました。今日は二人の声楽家とのリハーサルとその一人とのレッスン、そしてマーク・モーリス舞踏団の団員に寄るダンスのクラス(2時間)をやって来ました。 タングルウッドでは色々な芸術の形に触れさせるべく、クラシカル音楽を専門にしている研修生たちを演劇鑑賞につれて行ったり、タングルウッドの敷地内で行われるもう一つのポップスのシリーズに行くことを奨励したりします。ダンスは、マーク・モーリスと彼の舞踏団が毎年タングルウッドに来ていて、研修生の演奏で踊るほか、研修生に踊りを教えたり、歌手の舞台の振り付けをしたりします。マーク・モーリス舞踏団のユニークな点は団員のほとんどすべてが楽譜を読めて、音楽の勉強をかなり本格的にしていることです。その団長であるマーク・モーリスその人はバロック・オペラなどは玄人はだしに詳しくて、その振り付けは正に音楽を体現化したもの。エマニュエル・アックスやヨーヨー・マなどと言った有名な演奏家たちとも共演していますが、かなり細かい解釈の論議を堂々としたりしています。 今週末、土曜日と日曜日、そして月曜日にマーク・モーリスのショーが在るのですが、今日はそのショーで演目の一つ、ヘンリー・カウウェルと言うアメリカの現代音楽作曲家の弦楽四重奏の振り付けを教わりました。私たちでもなんとか出来るくらいの比較的単純な動きの繰り返しですが、とても楽しく、そして興味深い経験でした。私たちは音楽家ですから、音楽を聴いて大体の構造とかは把握できます。でも、それを体現化して振り付けを覚えようと思うと、これがなかなか難しいのです。脳みそでそこの所の回路が発達していない、と言う感じ。 でも、身体を思いっきり使って動き回るのはとても楽しかった。

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弾く vs。 聴く

弾きながら聴く、と言うことは現実的にはにはどこまで可能なのだろうか? 表現しながら、表現している対象をありのままに受容する、と言うことは、可能なのだろうか? 弾くことに一生懸命になる余り、音楽を無視する、と言うことは多いに在りえる。 器用に弾く子供で、本当に音楽を理解している子供が居るとは思えない。 むしろ、本当に音楽を理解できる子供は自閉症の様に圧倒されてしまって弾くなんてできなくなるのでは? 理解、あるいは本当に聴く、その有難みを深く理解する、と言うことはむしろ演奏には邪魔、と言えるのか? 喋りたいことがすでにあって会話に臨む時、相手が何を言おうがそれをどうやって自分が喋りたいトピックに持って行くか一生懸命になる余り、相手が本当に言っていることを聴いていないことが在る。これは一般的なことなのだろうか?それとも私だけの汚点だろうか?それでは、喋りたいことが無い時、どうやって会話をするモチベーションを自分の中に見出すのか?相手への思いやり?気遣い? 疲れているのかも知れない。 元気になれば、難なく聴いて、難なく弾いて、 健康な自己主張をしつつ、自分の周囲を楽しむバランスが保てるのかも。 寝ます。

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私の素敵なお友達自慢(ちょっとタングルウッド以前に巻き戻し)

本と言うのは、縁が在ったり無かったりするものだと思う。そして不思議な遭遇、と言うのが時として在るのである。私は空港の本屋、と言うのは滅多に行かないが(セールやって無いし)、今回日本からアメリカに戻ってくる時は暇つぶしにのぞいてみた。そしたら何と一番目立つ所に、私の知り合いの書いた本が新発売でディスプレイされていたのだ!「脳は何かと言い訳をする」をする、と言う新潮文庫から出ている本です。なんとなく嬉しくて、思わず買って、アメリカまでの道中で一気に読んでしまいました。この方は薬物学者で、アルツハイマーに効く薬が無いか、などの研究をするため、脳みそ、その中でも主に海馬の研究をしている人です。奥様と共に音楽愛好家でもいらして、ニューヨークのコロンビア大学で研究をなさっていた時、現地のピアノ愛好家の会で知り合い、親しくして頂きました。 http://gaya.jp/ikegaya.htm そう言えば、この頃私の知り合いで元気よくどんどん出版している人が結構いる。まず、吉原真里さん! http://www.mariyoshihara.com/ ハワイ大学アメリカ研究学の教授で私と真理さんの出会いは、真里さんがサバティカル中ニューヨークを訪れて、その著書の一冊(この本は英語です―日本語に訳され中)”Musicians From a Different Shore: Asians and Asian Americans in Classical Music"と言う本の為にリサーチをされていた時、出会ったのです。この方は大学進学まではピアノもかなり本気で勉強された方で、ニューヨークでは私がピアノのレッスンの様なことをして差し上げたり、夜遅くまで音楽談義、恋愛談議で良く盛り上がりました。私にとっては姉の様な、敬愛する先輩です。この方は中公新書から「アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで」を2004年に出版されたのを皮切りに矢口裕人さんと共著された「アメリカ現代キーワード」(2006)、「ドット・コム・ラヴァーズ‐‐ネットで出会うアメリカの男と女」(2008)とどんどん書いてきて、何と今年の6月は2冊ほぼ同時に新発売が出たのです!6月17日に発売された『性愛英語の基礎知識』(新潮新書)、そして6月25日に発売されるまったく別の著書、『ヴァン・ クライバーン国際ピアノ・コンクール——市民が育む 芸術イヴェント』(アルテスパブリッシング)。凄い! それから私の修士課程の勉強中同校生だったF.K.さん。今は日本で音楽ジャーナリストとして活躍しているが、同時にニューヨークでもう30年間日本人作曲家の曲を紹介する活動を続けている「ミュージック・フロム・ジャパン」と言う団体に付いての本を執筆中である。 他にも、精力的にNYで絵を描いて、色々な画廊で展示している、大岡和夫さん。 http://www.soymonk.com/Soymonk_Art_Studio/Welcome.html それから、テレビや映画の字幕や吹き替えを付けるお仕事をする傍ら、戯曲やミュージカルの台本の翻訳を手掛けている、翻訳家のH.Aさん。 など、など。。。 皆、偉い!私も頑張る!!

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アリアのクラス。

タングルウッドに着いた翌朝、タングルウッドの総監督と、ピアノ・プログラムの主任、そして今年の招待研修生として来たピアニスト12人の、ミーティングが在った。「3、4世代前までは、ソリストはソリスト、室内楽奏者は室内楽奏者、そして伴奏者は伴奏者と、はっきりと分業されていました。しかし今の世の中、プロの音楽家として生きていこうと思ったら、独奏も、共演も、伴奏も、オケの一員として演奏することも、教えることも、さらには音楽について書いたり、喋ったりすることも全てが要求される世の中です。またレパートリーもバロック初期、あるいはもっと前のものから近代まで弾けなければいけません。タングルウッドでは2ヶ月間にこの全てを少なくとも味見してもらう、と言うプログラムを試みました。今までの経験レヴェル、得意、不得意に関係なく、普段の自分では挑戦を尻込みするような未知の領域にも挑戦してもらいます。勿論、得意分野で輝く機会も十分持ってもらうつもりですが、新しい経験に戸惑うことも在るでしょう。でも将来振り返って、あの時無理してやらされて良かった、と思ってもらえると信じています。」 今夜はアリアのクラスが在った。メトロポリタン歌劇団の常任ピアニストから、オケのピアノ編曲を弾く時の心構え、歌手を伴奏する時の心構え、フランス、ドイツ、イタリア、そして18世紀、19世紀、20世紀のそれぞれのスタイルに付いて、色々教わる。12人のピアニストの半分は声楽との共演や伴奏を専門に勉強、あるいは職業にしている。しかし、私を含む残りの半分は歌手との経験はほとんどない。そのどのレヴェルの人達にも有効な一般的、あるいはとても技術的な知識を、一人ひとりにアリアの伴奏部分を弾かせながら教えてくれる。びっくりするのは、彼らの情熱だ。それぞれのアリアの背景であるオペラの筋書きや、登場人物の性格描写をしながら、時にはほとんど泣きださんばかり、時には感極まって歌いだしたりする。そして、本当に楽しそうに教えてくれるのである。予定されていた2時間を多いに上回ってクラスが終わったのは夜の10時。何だか美味しいお食事をお腹いっぱい頂いた様な、ほっこりとした気持ちになって帰って来ました。

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「お洒落をする」と言うことと、芥川龍之介の「鼻」

私は新しい所で新しい事を始めるたびに、新しい自分になってみたくなる。 タングルウッドに来たら、きちんとお洒落をする手間をかける、おしとやかな女性になろう、と思っていた。日本の百円ショップなどで、沢山ヘア・バンドや小物を買ったし、タングルウッドにもチャンとアクセサリーや化粧品を持ってきた。 私はかなり長いこと貧困生活を送っていた。 もっとずっと若い時、必要に駆られてと言うよりは哲学的に、「生きていく最低限でやって行こう」と決めたので在る。一時期はトイレット・ペーパーは「生きていくために必要なもの」のカテゴリーに入っていなかったので。。。(割愛)。そんな訳で、ずっと服は人からのお下がりや、古着屋さんで必要に駆られて買ったもの(冬のコートや演奏会用のドレス)とか、そして化粧は演奏以外の時はせず、と、そう言う感じで生きてきた。その哲学が「余裕と言うものが生み出すものは大きい」と言う風に長年かけて進化して来たのを、この頃感じるのである。特に美人ではないけれど、魅力のある女性、と言うのが在る。そう言うのに憧れて、自分も成ってみたくなったのだ。ちょっと気のきいた小物の使い方や、身のこなし方、服の着こなし方で、贅沢ではないけれど、周りを嬉しくしてくれるような輝きを持つ人。 タングルウッド一日目の朝、私には珍しく、良いにおいのするクリームを塗って、唇にグロスを乗って、この日の為に買っておいたおニューのジーンズと白いシャツを着て、一日過ごしてみた。ところが、何だか自意識過剰になってしまうのである。ふ~ん、こういうのもはやはり練習が必要なのだろうか?芥川龍之介の短編、「鼻」を思い出してしまう。異常に大きな鼻を持ったお坊さんが自分の人生の不都合の全ては鼻のせいである、と思い、色々な手段で鼻を少し小さくすることに成功するが、鼻が小さくなったら何だか余計自分の鼻が気になって仕方なく成ってしまった、と言うお話。 今日、二日目は普段通りの服装である。チャンチャン!

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