September 2014

毎日何時間練習するべきか?

今週末は、結構ぎっしり色々やった。 金曜日の夜はリハーサルで、帰宅11時。 土曜日は朝からメールで色々な必要連絡を取った後、 正午から論文執筆。 土曜の夜はCD録音セッションと後の飲み会で帰宅2時半。 日曜日は朝から論文、午後に昨晩の録音の聞きなおし、 夜はパーティー(日本人会―CDの演奏とご挨拶程度の演奏披露)。 論文を書くと、練習できない。 練習をすると、論文が書けない。 両方満足にしようと思うと、世捨て人になるしか無い気がする。 そして私は人生の少なくとも何年かはそうして世捨て人として過ごしたのである。 でも、世を捨てた人間が何のため、誰のために音楽をするのだろう? 理屈が通らない。 修行のために区切られた時間を「世捨て人」的に過ごすのは良いし、 私はそうやって我武者羅に練習・勉強した日々を 感謝して、誇りに思っている。 でも、結局音楽は世のため人のためにやらないとむなしい。 「毎日何時間練習するべきか」と言うヴィデオが一時Facebookの私の友人間で話題になった。 パメラ・フランクと言う、ヴァイオリニストが演奏家の卵にメッセージを送っているヴィデオである。 (パメラ・フランクは私がしばらくレッスンに通っていた伝説的ピアニスト、 クロード・フランクの娘さんでもある。 タングルウッド音楽祭に参加した際は、 この親子に室内楽のコーチをしていただく光栄に恵まれた) 彼女は 「練習は量より質。何時間練習して演奏に臨んだか、と言うことを気にする聴衆はいない。 本当に集中したら、私は一日2時間以上は練習できない。 でも、練習中は自分に残酷なほど正直になること。 弾けないこと、を練習する。 頭を使う。 工夫をする。 そして、残りの時間で人生を思いっきり楽しんで、自分の音楽の肥やしとしなさい。 頼むから、練習時間を増やすことだけに、満足を感じないで。 頼むから、もっと内容の濃い練習を、少ない時間で頭と心とを使ってやって。」 このヴィデオは私にかなりのインパクトを与えた。 丁度、余りに余暇の少ない自分の生活に疑問を持っているときに見たこともあり、 しばらく練習量を最低限まで減らしてみた。 しかし、まさに「質より量」の練習をして来た、 そしてそうする事が当たり前だった環境から来た身としては 一抹の不安に駆られるのである。 (これで本当に自分は習得しているのだろうか?) そして、最悪の心配はそれが演奏に影響しないか、と言うことである。 彼女の提言を実行するには、 内容の濃い練習だけでなく、 経験と(私には経験はあるはずなのだが) かなりの自信が必要だ、と思う。 さて、その自信を培うにはどうしたら良いのか... さ!練習、練習。

毎日何時間練習するべきか? Read More »

昔の物書きが飲んだわけ、村上春樹が走るわけ、そして私が歩くわけ

「書いてない...」 「書けてない...」 …とずっとブログに書いてきたが、 今週末に入ってからは結構書いている。 しかし不思議な物である 皆、そうなのだろうか。 (さあ、書こう!)と机に向かう。 そうすると、頭が真っ白になる。 すでに書いてある数ページを何度も何度も読み返して、 『てにをは』を入れ替えたり、 語順を変えたり、 要するに、遊ぶ。 (もうだめだ!)とあきらめる。 洗濯物を集めていると突然(!)と閃く。 ダダダダダ!とコンピューターに向かって走り 「ぐおおおおお~!」と言う感じでタカタカタカタとタイプをする。 その一筋の論理をまとめあげると、次にどう繋げるか、しばし悩む。 有り余る文献をつらつらと眺め始める。 (これ等の文献は今、私の部屋の床と机の上に所狭しと思い思いの頁を広げて散らばっている)。 こっちの本のページをめくり、あっちの本のページをめくりしていると、 突然(これは使える!)と言う箇所に出会う。 それを、後の引用か参考のために取りあえず論文本体の一番下に写してみる。 タカタカタカタ。 それが終わるとまたしばし空白の時間。 思い余って、部屋の中を歩き始める。 檻の中のライオンの様である。 そうしていると、さっきほっぽリ出した洗濯物収集物が目に入る。 (あ、いかんいかん)とこれらをまとめなおして洗濯機に放り込む。 (お?マキコ、おなかが空いているのかな)と、 食器を並べ始める。 しばし平安な気持ち。 そうするとまた(!)と閃く。 ダダダダダダ! インスピレーションを待つ時間と言うのは、ちょっとしんどい。 でも、インスピレーションが来て、ダダダダダ!とコンピュータに走っていって タカタカ、タイプしている時はとっても楽しい。 しかしいつでも不安はつきまとう。 (私の言っている事に本当に大義はあるのだろうか)とか、 (大義すぎて、論点がぼけてきているんじゃないか)とか、 (もしかして、私が言っていることはテンデ間違っているんじゃないか)とか そう言う邪念を追い払い、追い払い、 (とりあえず)(とりあえず)と書き進める。 昔の物書きがアルコールに走ったわけや、 村上春樹がマラソンするわけが、 ちょっとだけ分かってきたような気がする。 (とか言いながら、まだ10ページ目行ってないんですけど)

昔の物書きが飲んだわけ、村上春樹が走るわけ、そして私が歩くわけ Read More »

時間配分の術

毎日ぎっしり! しかし、ヨーガには欠かさず通っている。 今まで私は一日これだけ集中!と言うスタイルの頑張り方が多かった。 「今日は起床から就寝まで練習のみ!」とか 「朝一で図書館に行って、半徹してペーパーを仕上げる!」とか 「今日は一日何もしない!休みの日!」とか。 でも、ヨーガをやるようになって 「ヨーガの前・後」と区切りが出来るようになった。 院生・教授のためのヨーガのクラスは月曜日から金曜日まで毎日正午か5時半からある。 その日の都合によって正午のクラスにするか、夕方のクラスにするか臨機応変だが 「ヨーガまで練習して、ヨーガの後は論文執筆」とかやると 限り在る時間内でヨーガのクラスまで頑張る!とするから (こんなに長時間頑張っているんだぞ!)と自己満足に浸りながら だらだらやるよりもずっと、効率も気分も良い。 ただ問題は。 「論文のため」のはずの時間に論文を全然出来ていないこと、である。 なぜか。 論文はコンピューターで書くから、である。 コンピューターを立ち上げる。 最初にメールチェックをしてしまう。 受信箱にはメールがどっさり。 一通ずつ対処していると一つの用事が次の用事へとつながり そうしているとまた新しいメールが新着していたり。 ちょっと息抜きにFacebookを見る。 メッセージがある! 応対していると、日本の友達からチャットで話しかけられる。 「おお!久しぶり!!!」 「何しているの?」 「えっと~、論文を...」 書いていない!! ... 理想的には論文と練習だけできれば良いのである。 でも、練習は演奏のため。 演奏には広報のこと、演目や広報のための情報の提出や、 旅程の手配や、お金の計算や、色々色々あるのである。 それ以外にも、皆どうやって時間のやりくりしてやっているんだろう、 日常生活の諸々。 さらに、地域の短大で教えることになった! (これについては授業が始まる来週以降にまたご報告します) 一クラスだけ、週二回、それぞれ1時間40分の授業で もらえる報酬はすずめの涙なのだが、 まあそろえる書類、提出する文献の多いこと! そしてそれに関連して応対するメールも数少なからず。 さらに将来の検討。 金策。 コンピューターを開けると、世界と人生が私を待ち受けている。 これにどうやって上手く対処して、 ある程度無視して、 論文を書く時間はそれに専念をするか。 ...と、言いながら、ブログを書いている私です。 論文、書け!

時間配分の術 Read More »

愛の形

ヨーガのクラスは音楽をかけながら、行われる。 音楽の選択はインストラクターがするのが通常らしい。 日本のヨーガもそうだったし、LAのヨーガもそうだった。 (そう言えば、私のヨーガ歴は結構長い。しばらくお休みしていたけれど。) 普通ヨーガのクラス中の音楽はまあ、瞑想的な ベルのような打楽器が「チ~~~~ン」とか、 弦を弾いた音が「ボヨヨ~ン」とか メロディーとか、ハーモニーとか、つかみどころを出来るだけ少なくしたような、 まあ、インド風雅楽と言えばよいか、ニューエージと言えばよいか、そう言うのが多い。 でも、ライス大学のヨーガインストラクターは結構揃いも揃って、 ワリとヨーガにしては珍しい選曲をする。 はっきりとした歌詞があるものや、クラシックの選曲をする人も居る。 クラシックをかけられると、私は困る。 先生の言っていることよりもずっと音楽を聴いてしまうのである。 私は絶対音感がある。 絶対音感のある人すべてが同じかは知らないが、私の場合クラシック音楽が鳴っていると ずっと頭の中でそれぞれの音が ドの音は『ド』、レの音は『レ』、と自己紹介をしながら 耳の中に飛び込んでくるのである。 (なぜか他のジャンルの時はこの現象は起こらない) これと一緒に人が話すのを聞くのは、とても大変。 と、言うか普通あきらめてしまう。 レストランとか、ガヤガヤしている中で、音楽が明らかにBGMの音量の場合は問題無いが、 ヨーガのクラスのようにシーンとした空間の中でタイースなどがかかった日には 私の脳みそはタイースで一杯になってしまうのである。 私は「ボヨヨヨヨヨ~~~~ン」「チ~~~~ン」の方がヨーガの時は良い。 (普段はそう言う音楽は余り好きではないですけれど) 今日のインストラクターはクラスの最初に座って瞑想的な深呼吸をしている時に、 音楽をBGMにしながら、詩の朗読をしている録音をかけたので、びっくりした。 私は最初の「Love is beautiful」で思わず一人で吹いてしまった。 (なんて陳腐なんだ!)と思ったのである。 しかし、最後にはしっかり感動してしまった。 Love is beautiful, fierce, and strong. An insatiable, all-consuming fire. A lion pacing on the red hot embers of desire. Love

愛の形 Read More »

ヨーガ・パワー

この頃毎日ヨーガをやっている。 ライス大学のスポーツジムは学生割引が物凄いが、 それでもヨーガのクラスは別料金である。 一回ごとに払うのならば5ドル、学期ごとの『行きたい放題パス』は80ドルである。 う~ん、80ドルはちょっと高いな~と躊躇していたのだが… それでも絶対、絶対払う!と決めたきっかけはこんなことである。 なんと、この私が泣いたのである! しかも非常に恥ずかしい理由で! つらつらと18,9世紀の作曲家の演奏会の記録などを読んでいるうちに こんな強迫観念に取り付かれてしまったのである。 『もしかして、私が今まで歩んできた音楽人生、すべてが間違っていたんじゃ…』 何しろ、19世紀の演奏会と言うのは実に楽しそうなのである。 お客が演奏家と絡む! 好きな演奏には「もう一回弾け~」と要求をし、 好きな演奏家には花を投げたり、失神をして見せたり、恋に落ちたような手紙を書いたり… 逆に嫌いな演奏には大声で抗議をしたりして、それも楽しそうなのである。 「この曲は嫌いだ~、アリアの即興をやってくれ~」とか。 演奏家も「よしよし!」と言う感じで応えたりする。 なんと生き生きとしているんだ!! とても優しい学校の録音技術者に 「ちょっと聞いて!」とほとんど脅迫もどきに時間を作らせ、 「論文用にずっと文献読んでたら、何か分からなくなっちゃった」 とイキナリおいおい泣いてしまったのである。 自分でもびっくり。 そこで、私が我ながら自分を頼もしいと思うのは、すぐ行動に出ることである。 自分がちょっと異常だと思ったので、 1.まず、学校の医務室(お医者さんも居て、血液検査とかもやってくれる)にアポを取り、 2.学校のカウンセリングサービスにもアポを取り、 3.そしてヨーガに毎日行くことを誓った のである。 学校の医務室ではお医者さんに 「なんか泣いたりするし、集中もしにくいし、自分が普通でない状態にあるのを感じるんです」 と言って、血液中の鉄分や、リンパ腺の状態などを検査してもらった。 結果=異常なし(ちょっとがっかり) 次にカウンセリングでは 「どうしたらもっとポジティブ思考に、効率的に、仕事が出来るんでしょう」 と、アドヴァイスをもらう。 これはまあ、ありきたりのことしか言ってもらえなかったような気もしたが、 しかし、そう言うことを考える時間を取り、専門家と一緒に話しあったということでグー。 でもなんと言っても一番効果があったのは、ヨーガなのである。 私のような大学院生や研究を主にする教授を対象にしたヨーガのクラスなのである。 (学部生用のヨーガのクラスは別の時間にある)。 そのせいだろうか。 「さあ、それでは息を吐きながら体の前にグーッと腕を伸ばして、 両手の親指と人差し指で三角の形を作りましょう。 三角は数学では何の象徴ですか?(へ?) そう、『変化』ですね!(あ、さよですか) さあ、自分のハートの前に示した『変化』シンボルに向かって 深呼吸をしながら、なりたい自分の姿を思い浮かべてください!」 とか ― なんとこれは催眠術ではないか! しかも、瞑想的な要素もあるが、かなり筋トレの要素もある。 毎日やっていると、体が変化してくるのが、わかる。 夜は快眠。 昼はご機嫌。 不思議なくらい、最高なのである。

ヨーガ・パワー Read More »