July 2009

日本食シック

10-12  作曲家研究生6人の、自分の作曲のプレゼンと説明 12-2 練習 2-4  明日のコンサートのドレス・リハーサル 4-6  研究生たちによるドン・ジョバンニ(レヴァイン指揮)のリハーサル見学 6-8  夕飯と歓談 8-11 研究生たちのオーケストラ(ストラウス、アイヴス、ショーンヴぇルグ、ミヨー、フォス) 今、飲み会の最中である。 オーケストラのコンサートの後もあり、 みんなで集まってビールやワインやポテトチップス持ち寄りで楽しくしているが、 一人、カップヌードルを食べている子がいて、その匂いがたまらない。 美味しそうだ。 私も食べたい。 ラーメン、焼きそば、ご飯、沢庵、おひたし、おでん、お寿司、食べたい、食べたい、食べたい! 皆、内心(分けて)と言いたいのだけれど、言い出せない。 あ、また一口食べた。 もうすぐなくなってしまう。 もう皆に分けるくらいはない。 インスタント・ヌードルが以下に体に悪いか、と言うことに話題が移っている。 やっぱり皆うらやましいんだな。 我慢の子

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タングルウッドちょうど半分終了

8時  起床、作曲家たちとゆっくり朝食 9時半 キャンパスに移動 10時 研究生たちの演奏会 1時  作曲家たちと昼食、歓談 2時半 ボストン交響楽団モーツァルト交響曲39、40、41番(レヴァイン指揮) 5時半 夕食(寮のお庭でバーベキュー) 6時半 ピアニストと声楽家のグループで映画を見に行く(ハリーポッター) 私のルームメートは作曲家だ。 ルームメートは、音楽祭がかってに組み合わせを作るのだが、合格が決まった段階で 「貴方は朝方ですか、夜型ですか」とか、「きれい好きですか、そうでもありませんか」 などと、いろいろな質問に答えさせられ、一応相性を考えた組み合わせを作るようになっている。 その時、「そのほか、何かあったら書いてください」の項目に私は 「私は、作曲と指揮もします」 と書いて、(作曲か指揮の子と一緒の部屋だったらいいなあ)と思っていたら、 本当に作曲家が当ったので、凄くうれしかった。 おかげで作曲家(5人女性、1人男性)の研究生たちとよく遊ぶし、 時間があるときは彼らのクラスをのぞきにも行く。 今日は二つの演奏会の合間に作曲家と作曲の先生(Michael Gandolfi)と昼食を食べた。 その時、今年亡くなった二人の作曲家が話題に上った。 ルーカス・フォスと、ジョージ・パールだ。 二人ともタングルウッドに深い縁があった人たちで、二人を忍んで今年の演奏会はすべて どちらかの作曲家の曲が一曲は入るようになっている。 研究生たちはあまりこのことを喜んでいない。 特にピアニストはこのノルマを果たすために、 みんなフォスかパールのどちらかのソロの小品を課されていて、不満気味だ。 フォスはそれでも、割と客受けしやすい曲が多いのだが、 パールに至っては、とても抽象的で譜読みも難しい上に受けにくい、とあって、 みんな、弾くのも聞くのも、大文句垂れである。 作曲家たちと今日そのことを面白おかしく話していたらば、 作曲の先生に聞き咎められた。 彼は、20年ほどまえに自分も研究生としてタングルウッドに参加していて、 その時教師だったバーンスタインのエピソードをたくさん披露してくれる。 そのころはフォスもパールも健在で、だから個人的面識があったはずだ。 みんなで内心(しまった)と思ったが時すでに遅し。 静かに、パールが個人的にどんな人だったか、先生のことをどれほど支援してくれたか、 どういう哲学と概念をもって作曲活動をしていたか、聞かされた。 う~ン、他人の仕事を批判するのは簡単だけど、 みんな一生懸命生きて、いい仕事を残そうと思っているんだよなあ。 今日は全くピアノに触れなかった。 タングルウッドちょうど半分のところで、みんなちょっとげんなり気味。 ホームシックと言うか、タングルウッドの狭い世界に食傷と言うか。 そういう文句を言いあうのも楽しいのだが、今日はちょっとタングルウッドと音楽から距離を置くべく、 みんなで一日だらだら過ごして、夜は映画を見に行った。 明日からまた、がんばるぞ。

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現代曲をどうとらえるか

Ursula Oppensと言うピアニストがいる。 現代曲の演奏で有名な女流ピアニストで、Carter, Lutoslawski, Ligeti, Rzewskiなど 多くの名だたる現代作曲家が彼女の為に曲を書いている。 今日は、その彼女が半日だけタングルウッドに来る、と言うことでレッスンを受けられた。 この頃練習している"Boulez is Alive"(by Judd Greenstein)を聞いてもらう。 正直、この頃この曲にはだんだんうんざりしてきていた。 練習すればするほど、この曲の難解に見せかけて実はからくり的な要素が見えてきてしまい、 しかも数回の作曲家とのメールのやりとりで、作曲家から解釈の自由を許されず、 芸術家として全く信頼されていないような印象を受けてしまい、 「楽譜通り、指示通りに弾かせたいんならいっそコンピューターに弾いてもらったら」 みたいな、投げやりな気持ちになってきていたのだ。 Ms. Oppensに通して聞いてもらって、 「まあ、難しい曲、よく練習したのね」 と、認めてもらったらどっと愚痴がこぼれてしまった。 「作曲家との対話でむしろインスピレーションを吸い取られるように感じたことはありますか」 と、一通り話したあとで聞いてみたところ 「作曲家の指示と言うのは(初演で無い場合)、 あなたの前の演奏、あるいは演奏家に対する批評・反省と思いなさい。 例えば、楽譜に忠実に、と言われるのは 多分あなたの前に弾いた演奏家があまりに自由に解釈しすぎて、それを後悔しているだけで、 貴方が解釈してはいけない、と言うことではない。 どんな現代曲でも、ブラームスを弾くのと同じ常識的音楽性を持って 心をこめて、自然に息をしながら、楽しんで弾きましょう。 メトロノームや、コンピューターの様に弾くなんて、音楽の意味が無いですから」 と言ってもらった。 それを聞いて、どれだけ肩の力が抜け、嬉しかったか、ちょっと簡単には描写できない。 Ms. Oppensは、そういった後に、初対面なのに、ギュっとハグしてくれた。 音楽と言うのは、どんな状況でも、共同制作、そしてコミュニケーションだと思う。 作曲家と演奏家、共演者同志、興業の事務に関わる人々、そして聴衆。 音楽と言うのは言語で、言いたいこと、伝えたい気持ちがなければ、音楽なんてなくても良い。 例え、作曲家の音楽の定義が私の定義と全く別で、音楽を感情や概念の伝達の道具ではなく、 全く自分以外の要素を計算に入れない曲を書いて来たとしても その演奏の義務が私に来たら、私はその曲を私の感情、概念伝達の為に使います。

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マーラー交響曲6番(レヴァイン指揮)

8時半開演の今日のボストン交響楽団の演奏会が終わった時、すでに11時半だった。 時間の感覚が全くなくなっていたので、時計を見て、びっくりした。 遅いなあ、とも思ったが、同時に3時間でこれだけの体験ができるのもなんだか不思議な気がした。 今日の演目は、前半にレオン・フライシャーがモーツァルトの協奏曲23番(イ長調)を弾き、 後半がマーラー6番。 レオン・フライシャー氏は、2月に学校のオーケストラを客演で指揮しに来た時、 ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲のソロで共演させていただいた。 その時は、本当に優しく、厳しく、いろいろなリハーサルやランチを一緒に過ごしたが、 今日のモーツァルトはそういう思いでを全て超越した美しさだった。 81歳の誕生日が一週間後だが、モーツァルトに対してへつらうことなく、 何気なく、さりげなく弾いてしまい、それが完璧に美しかった。 ジストニアと言う病気で右手がほとんど使えなくなり、何十年も左手だけの演奏だったが 近年ボトックスを使った治療が効果を上げ、両手での演奏を再開している。 でも、やはり右手の、特に小指がなかなか思うように動かないらしく、 指使いを工夫したり、時には手を交差させて右手の部分を左手で弾いたりしていた。 (今日の席はピアノの鍵盤側の前から5列目だったので、実によく見えた) しかし、後半のマーラーは全くの別世界だった。 私はこの交響曲は初体験だったのだが、本当にびっくりした。 「亡き子をしのぶ歌」の直前に書かれた曲で、 新婚でキャリアも順調、一番幸せな時期に在ったはずのマーラーが 仮題として「悲愴」と名付けたイ短調の曲。 マーラーにしては珍しく、最後に長調ですくわれることなく、短調のまま終わる。 ベースや、チューバなどにソロが与えられ、全体的にどんどん音域が低くなって 音響がどんどん重くなっていくのに、リズムはずんずん進んでいく。 本当にびっくりして、今ちょっとショック状態気味。 どこまでがショックで、どこまでが眠気なのか、自分でわかりませんが、 とりあえず消化の為に、寝ます。

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二重の虹を見たこと、その他

タングルウッドはマサチューセツ州のレノックスと言う町に在るのだが、天気がとても不安定。 今朝は夏の予感の様に、湿度が高く(もしかしたら今日は蒸すのかなあ)と思わせきや、 夕飯が終わった6時半ごろいきなり稲妻と雷を伴う、大粒の、物凄く激しい雨がザーっと降ってきた。 幸い、コンサートに向かうバスが出発する7時半には小雨になり キャンパスに向かうバスの中から大型の虹が二重にかかっているのを発見、皆で大騒ぎした。 なんだかいいことがありそうな、とてもラッキーな気分。 今日はこんな感じの日。 9-10    練習 10-12   Phyllis Curtin(声楽)の公開レッスンで伴奏 12-1:30  練習 1:30-3:30 Lucy Shleton(現代曲専門の声楽家)による講義「現代曲の譜読みの仕方」 3:30-4:30 21日のソプラノデュエットの演奏会のリハーサル 4;30-8   長電話、友達と社交、夕食、移動 8-10    研究生による演奏会 10-12   バーでお酒、カラオケ 今日のハイライトは研究生のコンサートのトリだった スティーヴン・ハートキ(Stephen Hartke)と言う、LA在住の私が注目している作曲家の "King of the Sun"と言う、ミロの絵7枚に基づく7楽章の曲だ。 University of Southern Californiaの作曲科の教授で、この曲はずっと楽しみにしていた。 ミニマリストの要素もあるが、とにかく緊張感がうまく高揚されていく、 とても効果的な曲で、本当に嬉しかった。 そのあとの打ち上げの飲み会・カラオケも楽しかった。 声楽家がカラオケすると、やっぱりうまい。 それから音楽祭の事務局長ほか、事務の要人も多数参加し、 皆それぞれキャラクターを出して、かなり聴ける歌を披露してくれた。 ちょっと酔っ払っているので、今日はもう寝ます。

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